大阪から愛知への移動時でした。
降雪で通行止めとなっていた新名神の開通(17:00)をまって大阪を出発したのですが、亀山ジャンクションを境に超渋滞。
その渋滞にはいる直前、主人と運転をかわり、まぁ、音楽でも聴きながら、とのんびり構えていたところ。
「トンネルを抜けると雪国であった」では、ありませんが・・・。
本当に雪が降ってました。
はじめは気にしていなかったのですが、どんどんと勢いを増し、ついには吹雪いてくる始末。
すると、最近のニュースで目にしていた、突然の大雪に立ち往生する車、寒さに耐えるドライバーの様子などが思い浮かび、なにやらドキドキ。いや~な感じです(笑)。
「とりあえず、次のトンネルまでたどり着きたいね」、と助手席の主人。
しかし、トンネルまでほんの5キロほどなのに、ちっとも動かない。
その間に、雪はふるふる、道路は白くなる。
轍のところだけは、かろうじてアスファルトが見えているのですが、これも、時間の問題か!!!っていうスリリング。
チェーンは積んでいるものの、ノーマルタイヤでどこまで雪をグリップできるのかはまったくの未知数。あー、こういう時、知らないって、こわい!!!
立ち往生するにも、トンネルの中なら雪をしのげます。ガソリンの残り具合も気にしつつなんとか、トンネルまで!祈るような気持ちで、待ち時間の方が長いのろのろ運転に耐えることどのくらいだったでしょう。
ふと、前を見ると、トンネルの入り口が暗闇のなかに浮かび上がってきました。うれしかったですねー。とりあえず一安心。
海を放浪していた人が、陸地を見つけた時の心境って、こんな感じかなーと、思うほど(笑)。
ここは鈴鹿山脈の山の中。
ふたたび、「トンネルを抜けると・・・」という新たな展開を期待するも・・・。
残念!!!
トンネルを抜けてもやっぱり雪は降っていました(笑)。
吹雪く感じは多少和らいでいる気もしましたが、一向に止む気配はなく、道路はどんどん白くなっていきます。
この時、面白かったのは、自分自身の思考の流れ。
どうして、わたしがこんな目に?
わたしは災害にはあまり縁がないはずだぞ!
出発の時間を人任せにしたのがいけなかったか?
などなど、いろんな思考がさんざん出た後は、もう仕方がない、と腹がくくられるんですね。で、出てきたのはなんとも楽観的なイメージ(笑)。都合がよすぎて自分でも笑っちゃいましたが。
「あ、このまま、雪がふりつつも無事に運行できていくんだな。」
というイメージが浮かんだ瞬間、とても安心できました。
すると、その通り、東名へも無事合流でき、合流地点が終わるころには、雪は突然やみました。
まるで、線を引いたように、そこから先は降っていないのです。
もちろん、積もってもいない(笑)。
で、気が付いたことは、どんな状況にあっても、いかに早く平常心に戻れるか、がポイントなんだな。ということ。
人間ですから、状況によっていろんな思考やイメージが浮かぶのはあたりまえ。
でも、そうしたものをすべて見送ってしまえば、そこには、凪の海のように静かな自分自身がいます。そして、おもいがけなイメージを見せてくれる。
きっと、こういうのは、場数を踏むとうまくなる。
そこに命がかかわると、よりスリリングで鮮烈な体験として刻まれる。
生きていくというのは、そういうことだ。
ハンドルを握りつつ、目に映る雪という現実。(過剰な雪はやはり死を連想させます。)
そこから生まれる内なるイメージ。そして、それを流しきった後に生まれた静寂と楽観。いやぁ、良い体感をさせていただきました。
こんな言葉があります。
ワクワクと恐れは同じエネルギーである。
それがポジティブであればワクワクとなるし、ネガティブであれば恐れとなる。
自分の中のポジティブとネガティブを観察することが、自分自身を統率するはじめの一歩ですね!!!
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