氣がつけば
ここにある
この胸の
奥底から
しずかに
つよく
高らかに
湧きあがる
これも愛
嫌い
という感情も
なるほど
受け容れてみれば
悪くはないな
思えば
小さいころから
人に対しての
好き嫌いは
なんら変わるところなど
なかったのだ!!!
それもまた
わたしの個性なのだ
しかし
その
「嫌い」を受け容れてみて氣がついたのは
ただ自分が「嫌い」だからといって
その人自身の存在価値がないということではない
小さいころは
「自分が嫌いなもの=存在価値がない」
くらいの勢いだったが、笑!
自分の好き嫌いと
対象の存在価値は別であると理解できた事
それが
ちっとは年を重ねた成果かな^^