そして、もうひとつは。
先ほどの夢のあとに観たもの。(ひとつ前の記事です)
わたしと友人と。
その学校では、胸のあたりに、大きなバッジをつけなければいけないのですが、わたしは、それを友人とともにスルーしていました。
それは、わたしにはそんなもの必要はない。
つけたくない、という意思表示でした。
ところが、ふと気が付くと、自分の机の上に、
あらたなバッジが付箋つきで置かれていました。
きちんとつけなさい、先生は観ていますよ、といわんばかりに。
場面はかわって英語の授業。
わたしは予習も何もしていない。
かろうじて机の中にあった辞書にほっとして
嫌な気持ちで授業に向かっていました。
目覚めて気が付いたことは。
この感覚は、おそらくわたしの高校時代の気持だろう、ということでした。
高校時代は、中学までの自分の在り方にすっかり疲れてしまい、
もう何もしないぞ、目立たないところで、ひっそりといたい、と思っていたので、勉強もすっかり落ちこぼれでした。
夢のイメージは、その当時のわたしの気持を凝縮して表現しているようでした。
あの当時の気持の痛みが、ひょっとしたら
今回の腰の痛みとも通じているのかもしれません。
たかが夢。
されど夢。
自分で何をどう感じたか。
そこに答えがあるのだと思っています。
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