ただ
そうなんだと
気づく
団体行動になじめない
大人数のなんとなくのコミュニケーションに興味が湧かない
(これは子供のころからで、だから学校は好きではなかった。
もちろん、楽しいこともあったけれどね。
学校って、団体でいろいろするから、気分が乗らなくても、
わくわくしなくても、やらなきゃいけないことがいっぱいあって、
もともと好みがはっきりしているわたしには、文字通り修行でした、笑!)
自分に興味のない話題が行き交い
なんとなくワイワイとしている場にいると
なんともいえない不安感と自分ではない感覚にとらわれる
そんな自分の個性を
人が嫌いなんじゃないか(いえいえ、そんなことはありません、笑!!!)
そういうのは良くないんじゃないか・・・(社会的には、友達はたくさん、つながりは大事に、と言うからね、笑!!!)
という「思い込み」によって
判断していたと気付く
しかし
それこそがサインなのである
自分のことを知るチャンスなのである
「自分に興味のない話題が行き交い
なんとなくワイワイとしている場にいると
なんともいえない不安感と自分ではない感覚にとらわれる」
無理してこっちを体験することはないのである
そんなことに使うなら
自分のワクワクにエネルギーを集中させることだ
☆
きっかけは、昨日の夜、ふいに湧いてきた、「さびしい」気持ち。
いま、思えば、それは、自分が自分を認めていないということに起因していたと思う。
昨日の夜、テレビで蛭子さんを見たこと。
今朝見た結婚の夢(会場には、招待していないのに、見ず知らずの親戚の人たちがたくさん来てくれた^^)。
そんなこともヒントになった。
人とのつながり方、ご縁を大切にするその仕方も。
わたしのやり方でいい。
もう、大切にする、という言葉の定義すら、違ってくるね。
☆
そうそう、読み直していて気が付きました。
「団体」が、嫌いなんじゃなくて、
ただ、団体が共有している対象に興味がないだけのとなんだな。
だって、部活のバレーボールは大好きだったもの!!!
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