先日の雨のあと、一段と冷えるようになりましたね。
実は、いま。いよいよ深まりゆく秋にそっと寄り添うようなあるピアニストの音色にすっかり癒されています。音色ににじみ出るそのピアニストの持つエネルギーの質感が、深まりゆく秋の重さに丁度良いのですよね。
ちょっと冷えるかなと思いながら、秋の森の小道を歩いていたら、ふいにふわりと上質な毛布に包まれてほっとするような・・・。
そんなイメージが広がるそのピアニストの音色。わたしはとても好みなのですが、どうやら賛否両論あるようなのです。
ネットの動画でそのピアニストの演奏を聴きながら、投稿されたコメントを眺めていて驚いたのは、技術的な問題についてシビアな投稿をされている方がいらっしゃるということでした。
はて?そんなにひどいものかしら???
そう思って、「技術的なこと」にフォーカスして同じピアニストの音色を聴いてみると、確かにそういう問題点が無いわけではないことはわたしにもわかりました。
でもね、そう認識したとたん、あれほど「心地よいな~」と思っていたそのピアニストの音色がとたんに色あせてしまったのです。あらら。わたしの耳も節穴だったかしらん。その時は、ちょっと自分にがっかりもしました。
ある時、また同じピアニストの音色を流しながら、別のことをしていました。するとやっぱり「このピアニストの音、いいな~」という気持ちで自然にその音色を受け入れている自分に気がつきました。
この時は、なにか他のことに意識が向けられていたので、そのピアニストに関するネガティブな情報に関してはすっかり忘れていたのですね。つまり、わたし自身は、第三者の情報に踊らされることなく、リラックスした状態で、感じるままに音楽を楽しんでいたという状態でした。
同じものでも、意識のあり方でこうもとらえ方が違うものなんだなぁ、と我ながら驚きました。同時に、「右脳で聴く」とはこういうことなんだなという感覚を得ることもできました。
実は、先日、「右脳で聴く」という感覚を覚えるともっと自由に生きられるよという話を友人から聞いたばかりだったのです。
いやぁ。良い体験をさせていただきました。この体験で、「右脳で聴く」ということを体で覚えることができましたから^^。
それをわたしの言葉で言うならば、「ハートで聴く」という表現になるでしょうか。意識をフラットな状態にして、先入観や偏見にとらわれず、判断しよう評価しようという気持ちも手放して、「自の心で聴いてどう感じるか」ということを大切にする姿勢だともいえるでしょうね。
音楽のみならず、普段からこういう姿勢でいると、他の人や自分のことを判断したり批判したりするという左脳の分析型思考から解放されるので、生きるのがとても楽になります。人間何がやっかいかと言えば、ああでもないこうでもないと頭のなかでつぶやく自分の独り言、ということも多いですから。そこから解放されるということは、精神的にも楽になりますし、意識の上でもかなりの自由を獲得することになると思います。つまり、それは心身のリラックスにつながるわけです。
ということは、レイキをする上でもこういう在り方はとってもプラスになりますよね。レイキは上手にリラックスすればするほど流れやすくなりますし、感受性もアップしますからヒビキの感知もしやすくなります。
というわけで、わたしは、変わらずこのピアニストの音色を愛しつづけることにしましたよ。
みなさんは、この秋、どんな音楽に耳を澄ませていらっしゃいますか?
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