だれが伝えても、その本質は変わらない・・・。
昨日のレベル1を終えて、改めて、レイキというものの大きさを思う朝です。
ここ最近のわたしの意識の変化、および、この数日間でどんどんと変化していく「視点」のせいなのか、とても印象深い一日となりました。
自身の内から湧いてくる「慈愛」という海のぬくもりとゆたかさ。
降り注ぐレイキのエネルギー。
まさしく、わたしにって、今このタイミングならではの出会いだったように思います。
人生の体験というものは、比べることのできないもの。
また、比べる必要もないもの。
ご自身にとって、それが、深く大きな体験であればあるほど、それにまつわる感情に寄り添う時間というものも大切になります。
レイキで自分に手を当てること。
レイキで誰かに手を当てさせてもらうこと。
それは、まさに、意識をそこに向け、感じ、寄り添ってあげるのと同じこと。
その過程の中で、いつの日か封じ込めてしまった自分の想い。その人の想い。
それは、カラダの中を行き交うエネルギーの場にも蓄積されています。
あなたのそのカラダ。
大切な人のそのカラダ。
いつしか封じ込められた想いは、ずっと気づいてくれるのを待っています。
そこに手を当てあげると、やっと気づいてくれたんだね、とカラダは喜びます。
蓄積された時間が長いほど、動き出すのには時間がかかることもあるでしょう。
それでも、日々の暮らしの中で、ご自身に、そして、大切な人に「手を当ててあげること」。
こんなシンプルで簡単なことで、あなたが体験する現実というものが変わっていきます。
それは、レイキの実践を通じて、あなたがかわるから。
レイキの実践を通じて、感じることが、あなたに気付きをもたらし、新しい視点をもたらしてくれるからです。
そうして、変化する自分自身を体験していくことが、レイキの面白さ、生きるというこの醍醐味でもあります。
宇宙そのものともいえるレイキの世界から見れば、わたしなんて、ほんのちっぽけなもの。
それでも。
レイキの実践を通じて感じられる宇宙が、わたしは好だから。
レイキをお伝えしている時の、みなさまとの時間が好きだから。
わたしはレイキを伝えていくのだと思います。
こうして、風の城へと足を運んでくださる方がいること。
心から感謝申し上げます。
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