この日、妹の家につくと、ちょうど彼女も車で帰宅したところでした。
そして、運転席から降りるなり、憤懣やるかたない雰囲気。
どうしたのかとおもったら、「一時停止義務違反でつかまった」と。
「あ~。それは、ご愁傷様でした。完全には止まっていなかったんじゃない?」
わたくし、OL時代は、自動車保険の事故対応をしていましたので、一時停止の標識にはチョー敏感です。
発見するとちゃんと止まります。
ブレーキだけではいかんのです。
ちゃんと停止線のところでタイヤが止まるのを確認。そこから左右確認して発進。
そうすると、たとえ直前で左右どちらかからくる車に気が付いたとしても、徐行運転だと未然に停止できるんですよね。
車同士の事故って、どちらかが注意していると起こらないもの。
「そこで停止しても、左右は見えない!」というのは、一時停止義務違反で交差点に進入し、事故に至った方たちの決まり文句でした。
まだ20代。「正論」を述べることしか知らなかったわたしは、杓子定規とか、事務的だとか、まぁいろいろ言われもしました。
なつかしいですな~(笑)。
と、もとい。
まぁ、「なんでそんなところで張っているんだ!」と言いたくなる気持ちもわかります。
こんな住宅地の中の、スピードも出さない交差点で、なんでーーーっていう気持ちもね。
妹は、ちょうど、腎盂炎に違いないと思うほどの強烈な腰や腹部の痛みを伴った風邪を経過しつつある時でした。
こういう時こそ、レイキで手当てをしておくととても良いのです。
治癒力がよく働いている時ですので、エネルギーも動きやすく、新しいバランスへの心身の移行が速やかになります。
実際、妹への手当てを開始すると、まだ、腹部には硬さがありました。
うんうん。そうだろう、そうだろう。きっとよく反応も出るだろうな・・・とレイキをすることしばし・・・。
しかし、腹部は硬いまま、ちっともエネルギーが動きません。
レイキをしていても、なんだか反応がいまいちなのです。
そして、普段は、レイキを開始すると、リラックスして眠ってしまう妹が、何度もため息をつきながら、まったく眠らない。どうにも、怒りがおさまらないようでした。
きっと、沸き起こるやるかたなさ、どうしようもなさに、すっかり飲まれてしまっていたのでしょう。
「腹が立つ」とはよく言ったもので、怒っていると、お腹が硬くなります。
怒って気が上がったまま、おなかの筋肉もそれにあわせて硬直してしまっているのですね。だから、腹部の硬さや冷え(怒った状態のまま放置されたら冷え固まります)というのは、過去の自分の怒り、であるという可能性も往々にしてありますね。
わたしなんて、若いころは、世間というものに腹ばかり立てていたので、本当に腹部は冷え固まっていましたよ(笑)。
これは自分で手当を重ねていくことで気が付いたのですけれどね。
根気よく、レイキで溶かし続け、今はそういうものは蓄積されていないと思いますが。そして、今では、当時とは、まるで違う視点で生きていますので、もうそういうエネルギーが腹部に蓄積することはありませんね。
あらためて、人の感情というもののパワーを実感したと同時に、「今は怒っていたいのだ」という意志の力強さをまざまざと見せつけられた思いがしました。
「怒るな」というのが、臼井先生が伝えられた五戒の冒頭に来ているのも、偶然じゃないのかもしれませんね。
怒ったらレイキの流れがどうなるか・・・。
というのは、このエピソードの通りですから(笑)。
Ps.でも、だからって、怒ることが悪いのではありませんからね。念のため!
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