願いというものは、叶うものである。
我が家のすぐそばにある三叉路を中心として、そこかしこに、時々放置されている、犬の糞。
道路の真ん中を通る側溝のグレーチングの上や、我が家を含めた民家の玄関周り、などなど。
わたしが、掃き掃除の折に見つけた時には、塵と一緒に回収しておくのだが、発見前に無残に車に引かれてぺちゃんこ、ということも多い(笑)。
しかし。
こう堂々と何度も犬の糞を、こんなに目につくところに放置していく飼い主とは、いったいどんな人なのだろう???
ここまで来ると純粋に興味が湧く。
ここは、山の上の住宅地。近所にはお寺や神社、森林公園もあるから、散歩道にする人が多い。
そこで、犬の散歩をしている人には、自然、その飼い主さんに目がいくわけだが、たいていゴミ袋や小さなカバンを手にしている。
はてさて、いったいだれが、どんな時間に、糞を置いていくのだろうか?
日々、疑問は募る訳だが、朝に夕に犬をつれて道行く人を見張っているわけにもいかない。
しかし、先日、とうとう、その姿を目撃してしまった。
わたしたち夫婦が、外食をしようと夜、表に出た時だった。
19:00ころだったろうか。
まさに出会いがしらだった。
わたしが、玄関を出てふと視界に入ったものは、冒頭に述べたグレーチングの上(つまり道路のど真ん中!)で小さな洋犬を従えてとどまっている人だった。
もう、ぴぴん、と来た。
裸眼のわたしには、ぼんやりであるが、Tシャツ、短パンの、まだ若い男性で、犬をつなぐリードの反対の手には何ももっていなかった。
人気を感じたせいか、彼は、ポケットの中からティッシュを取り出し、犬のそれを回収して、またポケットに入れた。
ほんとうに。
願いとは叶うものだ。
わたしは、心の中で、彼に願う。
「もう、こういうことはしないでね。」
そして思うのだ。
犬を散歩させてあげるという思いやりのある人なのだから、それをもう少し広げて、放置された犬の糞を観る街の人の気持を思いやってくれたらうれしいなぁと。
だって、それを踏んでしまうかもしれない人だっているのだろうから。
しかし。
願いとは叶うものだ。
この時、わたしたちが表に出た瞬間というのは、近所のレストランに行くのに、車で行くのか、歩いていくのか、わたしが少しまよったおかげさまだったのである、(笑)。
何が幸いするかわからないこの宇宙。
瞬間瞬間のつながりがおもいがけない解を導き出す。
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