こちらのブログで意図のパワーについて綴っていたら、もう一つエピソードを思い出しました。
昨年の冬のある日。わたしは、とあるお宅に訪問する予定になっていました。すると、当日になって先方から、家族全員インフルエンザなので来なくてもいい、という旨の連絡がありました。理由はもちろん「うつると申し訳ないから。」
でも、わたしは、だからこそ行きたいと思いました。だってそういう時こそ、レイキをさせていただきたいですものねぇ。
そのお宅では、もうながい間週一回ペースでレイキをしたり、お掃除を手伝ったりしながら、午後の楽しいひと時を過ごすのがお決まりになっているのです。
病は気から、とはよく言ったもので、「うつると思えばうつる」というのが、わたしの体験から来る持論でもあります。この時も、「うつる」などとは思いませんでしたが、さすがに「家族全員が」というところに、まったくひるむところがなかったと言えばうそになるでしょう。
答えは、そのお宅に向かう運転中にもたらされました。
「愛されたい、という思いが少しでもあれば、これはうつるな」と、ひらめいたのです。
だから、そこでしっかり意図しました。
「わたしはうつらない。愛されたいという欲求はみじんもない」と。ハンドルを握りながら、思わず声に出して宣言してしまいました。この時、体中に響きわたったその「音」は、今でもはっきり覚えています。こういうのを本当の「アファメーション」というのでしょうねぇ。
愛されたい、という欲求とは、つまり、自分のことを気にしてほしい、かまってほしい、振り向いて欲しいという欲求のことです。病気になって寝込んだりすれば、みんなが心配してやさしくしてくれますね。だから、自分のほうにそういう隙があれば、うつるなと思ったわけです。
また、そこまで行かなくても、単に、疲れていたり、エネルギー不足だったりすることも、うつりやすい状態になるでしょう。
もちろん、この時も、わたしがインフルエンザにかかることはありませんでした。
でも、うつってしまったら、それはそれでいいのです。チャンスとばかりに、しっかり寝込んで、それを刺激に体を調整してしまえば良いのですから。
弾力のあるバネが、上からたたかれても、勢いよく反発するように、多少の刺激はおおいに体の治癒力を活性化してくれます。
それだけ弾力のある心身を育んでおくということが、普段から大切であるということは言うまでもありませんけれどね。
そういえば、先日、レベル1のアチューンメントを受けた直後にインフルエンザにかかり、「うんうんと唸りながらも辛い肩とのどに手をあてて自分を癒しておりました」というお話をお伺いしました。もちろん、ヒビキもばっちり感じられたそうですよ。
どんな体験も、無駄にはなりませんね!
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