満ち満ちて
こぼれ出る
甘露の泉
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父への手当ての最中だった。
わたしの中の、小さな聖杯がみちみちて、あふれ出ていくのが見えた。
気が付けば、その小さな聖杯は、いつしか、わたしと父が共有する空間を支配するほどに大きくなっていた。
わたしは、その聖杯の傍らで父に手当てをしている。
見上げるほどに背の高くなった聖杯からは、滋味あふれる聖水が満ち満ちてこぼれ出ている。
辺り一面、こぼれでた聖杯の恵みに満ちあふれ、秘境の密林のようだった。
そこでは、いのちといういのちが生い茂り、わたしたちを満たしてくれていた・・・。
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あまりのゆたかさとうつくしさ、得も言われぬ心地よさに、わたしは、これに名をつけたいと思った。わたしの、たいしてない語彙力の中から探し出した言葉は、甘露の泉。
甘露とは、辞書によると「 中国古来の伝説で、天子が仁政を施すと、天が感じて降らすという甘い露。」。ウィキペディアでは、「中華世界古代の伝承で、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。後世、王者が高徳であると、これに応じて天から降るともされた。」とある。
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おなじ日。母に手当てをした。
また、甘露の泉を味わうことになるかと思いきや、観音のイメージが現れた。
こちらはまた、繊細で慈悲深く、なんとも心安らぐひとときであった。
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甘露の泉。
これもまた、わたしの新たなエネルギーガジェットにしようと思う(笑)。
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