ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   3月 16

ミモザのエネルギー

風の城のミモザが満開です。2月の大雪で、柳のようにしだれてしまったのですが、元気に咲いてくれました。

先日、家の周りを掃いていて、ふと、こんもりと茂るミモザの枝の下に入った時でした。

まるで、満開の桜の樹の下を通る時のような繊細なエネルギーに包まれたのです。爽やかで、そのまま身を委ねていると、少し気が遠くなりそうな・・・。

ちょっと、言葉にするのは難しいのですけれど。そう、これが、花のエネルギーなのよねっていう感じで、普段は気がつかない意識の奥にまで手が届きそうな繊細さで語りかけてくるのです。

桜もミモザも。樹に咲いたさくさんの花が、地面からではなく、頭の上の方から香ってくるというのも共通ですよね。

もう、このミモザの樹を植えて何年にもなるのですけれど、これほどまでに花がついたことは、今年が始めてだったので、今まで気がつかなかったのですね。

行き交う人の目もはばからずに、外に出ると、思わず「ミモザの軒下」(わたしが勝手に名付けました)に入って、そのエネルギーを味わってしまいます。

それはそれは素晴らしい、自然の癒しのエネルギー。桜は、ちょっと胸がキュンとするようなセンチメンタルな気分にもさせられるのだけれど、ミモザは、朗らかで、メルヘンワールドに連れて行ってくれるような楽しさがありますね。

「レイキ」というのは、宇宙(自然)のエネルギーのひとつの活用の仕方だけれども、こうして、何気ない瞬間にふっと入ってくる癒しのエネルギーもわたしは大好きですよ。

さぁ。もうすぐ桜が咲き始めますね。

樹から香る花のエネルギー。浴びに出かけましょう!!!


   2月 22

「痛み」の見方

わたしたちの身体は、時に応じて色々なサインを伝えてくれますが、「痛み」というものそのひとつですね。

身体が「痛み」を発してくれるから、わたしたちは、そこに意識を向けることができます。

わたしにとって、今や「痛み」とは、厄介なものではなく、なにかを教えてくれる大切なサインになっています。

昨日の記事で、湯船で自分の背中に遠隔をしたエピソードを綴りましたが、実はその記事を綴っている最中に、ちょっと面白い体験がありました。

入浴中のレイキで、いったんは弱まった痛みが、また強まってきたのです。わたしは、手を止めることなくパソコンのキーボードを叩きながら、一旦、痛みの外側に意識を置いてみました。

すると、「この痛みから早く解放されたい。」そう思っている自分に気がつきました。

じゃぁ、それを手放したらどうなるかな、と思って、実際に、その気持ちを手放してみると、痛みと自分が溶けあったような、なにか融合したような感じが合って、それから少しして、痛みは抜けてしまいました。

その後、無事に記事を書きあげ、ちょっとライアーを弾いて、そして、ツイッターにもつぶやいて(笑)、ベッドに入りました。

昼間の自力整体で、下腹部の深部筋が凝っている感じがしたので、その部分に両手を置いてレイキをしながら眠りにつきました。

ところが・・・。レイキが浸透していくにつれ、また、胸椎の痛みが再浮上してきました。いつもは、このまま痛みを味わいつくすのですが(これまでは、ずっと、味わいつくしながらも、早くこの痛み抜けないかな、と思っていたのでしょうね・笑)、さっきの感覚が面白かったので、また実行してみました。

すると、その部分(胸椎11番あたり)が、二度ほど大きく呼吸をしたかと思ったら、そこから波紋を描いて水面に吸収されるようにして、痛みがすうっと消えてしまいました。今度は、もっとイメージが明確でドラマティックな体験でした。

そして、その体験がきっかけとなり、身体の大調整が始まりました。わたしは、身体に導かれるままに、胸部や、頸椎上部、左骨盤付近など、その時々に必要な部位に手をあててはいますが、身体は、経絡の反応に任せてもぞもぞと動きっぱなしです。

これをわたしは、経絡の調整と呼んでいますが、野口整体でいうところの活元運動のようなものだと理解しています。

こういう調整は、すぐに終わる時もあるのですが、深夜に数時間続くこともあります。この時は、お手洗いにいったのがご午前3時半だったので、12時ころベッドに入り、ずっと動き続けていたということになります。

その後しばらくして、やっと動きが落ち着き、いつのまにか眠ってしまったのですが、その夢がまた良かった。

面白い意味付けができそうですよ!

不思議なことに、今日は、じっくり眠ったわけではないのですが、目覚めはすっきりで、寝不足という感じはまったくありません。むしろ活力に満ち溢れ、インスピレーションが泉のように湧いてきます。

「痛み」への意識を少し変えてみただけで、引き起こされたこの夜の体験。思いがけないギフトでした。かなりのブロックが解除され、わたしの中の情報が書きかえられたことは間違いありません。

こうして、レイキをする、ということだけでも、ものの見方次第で、起きうる現実が変わってくる。

面白いと思いませんか?


   2月 21

自分に遠隔

胸椎(とくに11番あたりを中心として)に痛みを感じたので、入浴中に、レイキをしました。
といっても

背中に手は届かない!

そこで、こういう時には、遠隔で背中にレイキを送ります。

遠隔って、離れた人や場所だけじゃなくて、ちゃんと自分にも送れるのですよ。
おー、それは気付かなかった!
という方は、ぜひ試してみてくださいね。

レイキを送るのも自分、受け取るのも自分なので、最初は感覚が混乱するかもしれませんが、何度も実践していくうちに慣れてきて、レイキを送っている感覚も、受け取っている感覚も、ご自分なりに感じられるようになりますから、どうぞご安心を。

その経過を好奇心を持ってお楽しみくださいね。

まぁ、遠隔でなくても、発霊法を応用したり、イメージを使うという方法もありますね。

結局、この時の遠隔で、患部の痛みは和らぎ、下から上に向かう気の流れは改善されました。
ヒビキとしては、熱感とぴりぴりする感じがありましたね。

昼間に、自力整体のクラスに出たのでその影響か、季節的な身体の変化によるものなのかな・・・と思っていたのですが。

実は、この日は、食べ過ぎだったかもしれません。

昼間はランチで、スープにメカジキのカツレツ。そして、パンを数種類。そしてカフェオレまで飲んで。夜は、夕食で、ポテトサラダを食べすぎました。おかずだけにしてご飯は食べなかったんですけどね。

体質にもよりますが、身体の反応が敏感になってくると、ちょっと食べ過ぎ、という程度でも身体に反応が出るようになります。

また、わたしの場合、季節の変わり目や、意識の変容にともなう身体の変化で、エネルギーのバランスが不安定な時は、ちょっとした食べ過ぎが不調として現れることがあります。

人の体って、こんな風にいろんなことを教えてくれるんです。そういう身体からのサインに耳を澄ませるというのは、手を当ててヒビキを感知していくという性質上、レイキの得意とするところでしょうね。

これからは、自分の体のことは自分で理解して、大きな不調の前に自分で対応していくことができる生き方がますます求められます。

そういう感覚を磨くという意味でも、レイキはとてもお勧めですよ。


   2月 18

春に向けて

昨晩は、就寝時に布団の中で、下腹部にレイキを。

体の表面的にですが、軽く引き攣れた感じとともに冷えが感じられ、そのままレイキをしていると、体全体に悪寒が走りました。(悪寒というのは、悪いものではなく、冷えが体から出ていく時に体感される現象です。)

布団の中なのに寒いくらい!

このところ、冷えとはすっかり無縁だったので、興味深々でヒビキと体感を追っていましたが、その悪寒が抜けきるのを確認しないまま、いつしか眠ってしまいました。

骨盤の緩みに起因するのかな。女性特有の生理的なものなのか、季節的なものなのか、どちらかはわかりませんが。あるいは、その両方かもしれません。

それは、今朝ほど、公園で少し体を動かしてみて分かりました。

体の力がいい具合に抜けているのです。もう、硬く縮こまって寒さから身を守っていた冬の体とは違います。春を感じさせる体の緩やかさがなんとも心地よいのです。ゆえに、かえって寒さが身にこたえるという感じはありますけれどね。それでも、新しい季節の到来、春の訪れを予感するのは、なんだか心が華やぎます。

昨晩のレイキ時の冷えは、やはり、体が緩むという方向への経過にともなうデトックスだったようです。

春本番に向けて、体も着々と準備中です!

病気になってからのレイキは手間も時間もかかるけれど、こうして前倒しにレイキを使っていくと、ヒビキや体感を楽しみながらレイキに親しむことができますね。

整体的にも、もっとも体の変動が激しいと言われている2月です。(詳しくは、高山洋二郎先生の整体かれんだーがお勧めです。)この激動の季節に、ぜひともレイキをお役立て下さいね。

レイキが、その経過を促進し、スムーズにしてくれますよ。


   2月 08

意図のパワー☆インフルエンザ編

こちらのブログで意図のパワーについて綴っていたら、もう一つエピソードを思い出しました。

昨年の冬のある日。わたしは、とあるお宅に訪問する予定になっていました。すると、当日になって先方から、家族全員インフルエンザなので来なくてもいい、という旨の連絡がありました。理由はもちろん「うつると申し訳ないから。」

でも、わたしは、だからこそ行きたいと思いました。だってそういう時こそ、レイキをさせていただきたいですものねぇ。

そのお宅では、もうながい間週一回ペースでレイキをしたり、お掃除を手伝ったりしながら、午後の楽しいひと時を過ごすのがお決まりになっているのです。

病は気から、とはよく言ったもので、「うつると思えばうつる」というのが、わたしの体験から来る持論でもあります。この時も、「うつる」などとは思いませんでしたが、さすがに「家族全員が」というところに、まったくひるむところがなかったと言えばうそになるでしょう。

答えは、そのお宅に向かう運転中にもたらされました。

「愛されたい、という思いが少しでもあれば、これはうつるな」と、ひらめいたのです。

だから、そこでしっかり意図しました。

「わたしはうつらない。愛されたいという欲求はみじんもない」と。ハンドルを握りながら、思わず声に出して宣言してしまいました。この時、体中に響きわたったその「音」は、今でもはっきり覚えています。こういうのを本当の「アファメーション」というのでしょうねぇ。

愛されたい、という欲求とは、つまり、自分のことを気にしてほしい、かまってほしい、振り向いて欲しいという欲求のことです。病気になって寝込んだりすれば、みんなが心配してやさしくしてくれますね。だから、自分のほうにそういう隙があれば、うつるなと思ったわけです。

また、そこまで行かなくても、単に、疲れていたり、エネルギー不足だったりすることも、うつりやすい状態になるでしょう。

もちろん、この時も、わたしがインフルエンザにかかることはありませんでした。

でも、うつってしまったら、それはそれでいいのです。チャンスとばかりに、しっかり寝込んで、それを刺激に体を調整してしまえば良いのですから。

弾力のあるバネが、上からたたかれても、勢いよく反発するように、多少の刺激はおおいに体の治癒力を活性化してくれます。

それだけ弾力のある心身を育んでおくということが、普段から大切であるということは言うまでもありませんけれどね。

そういえば、先日、レベル1のアチューンメントを受けた直後にインフルエンザにかかり、「うんうんと唸りながらも辛い肩とのどに手をあてて自分を癒しておりました」というお話をお伺いしました。もちろん、ヒビキもばっちり感じられたそうですよ。

どんな体験も、無駄にはなりませんね!