わたしたちの身体は、時に応じて色々なサインを伝えてくれますが、「痛み」というものそのひとつですね。
身体が「痛み」を発してくれるから、わたしたちは、そこに意識を向けることができます。
わたしにとって、今や「痛み」とは、厄介なものではなく、なにかを教えてくれる大切なサインになっています。
昨日の記事で、湯船で自分の背中に遠隔をしたエピソードを綴りましたが、実はその記事を綴っている最中に、ちょっと面白い体験がありました。
入浴中のレイキで、いったんは弱まった痛みが、また強まってきたのです。わたしは、手を止めることなくパソコンのキーボードを叩きながら、一旦、痛みの外側に意識を置いてみました。
すると、「この痛みから早く解放されたい。」そう思っている自分に気がつきました。
じゃぁ、それを手放したらどうなるかな、と思って、実際に、その気持ちを手放してみると、痛みと自分が溶けあったような、なにか融合したような感じが合って、それから少しして、痛みは抜けてしまいました。
その後、無事に記事を書きあげ、ちょっとライアーを弾いて、そして、ツイッターにもつぶやいて(笑)、ベッドに入りました。
昼間の自力整体で、下腹部の深部筋が凝っている感じがしたので、その部分に両手を置いてレイキをしながら眠りにつきました。
ところが・・・。レイキが浸透していくにつれ、また、胸椎の痛みが再浮上してきました。いつもは、このまま痛みを味わいつくすのですが(これまでは、ずっと、味わいつくしながらも、早くこの痛み抜けないかな、と思っていたのでしょうね・笑)、さっきの感覚が面白かったので、また実行してみました。
すると、その部分(胸椎11番あたり)が、二度ほど大きく呼吸をしたかと思ったら、そこから波紋を描いて水面に吸収されるようにして、痛みがすうっと消えてしまいました。今度は、もっとイメージが明確でドラマティックな体験でした。
そして、その体験がきっかけとなり、身体の大調整が始まりました。わたしは、身体に導かれるままに、胸部や、頸椎上部、左骨盤付近など、その時々に必要な部位に手をあててはいますが、身体は、経絡の反応に任せてもぞもぞと動きっぱなしです。
これをわたしは、経絡の調整と呼んでいますが、野口整体でいうところの活元運動のようなものだと理解しています。
こういう調整は、すぐに終わる時もあるのですが、深夜に数時間続くこともあります。この時は、お手洗いにいったのがご午前3時半だったので、12時ころベッドに入り、ずっと動き続けていたということになります。
その後しばらくして、やっと動きが落ち着き、いつのまにか眠ってしまったのですが、その夢がまた良かった。
面白い意味付けができそうですよ!
不思議なことに、今日は、じっくり眠ったわけではないのですが、目覚めはすっきりで、寝不足という感じはまったくありません。むしろ活力に満ち溢れ、インスピレーションが泉のように湧いてきます。
「痛み」への意識を少し変えてみただけで、引き起こされたこの夜の体験。思いがけないギフトでした。かなりのブロックが解除され、わたしの中の情報が書きかえられたことは間違いありません。
こうして、レイキをする、ということだけでも、ものの見方次第で、起きうる現実が変わってくる。
面白いと思いませんか?