ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   12月 07

ヒビキでパジャマチェック

レイキの技法のひとつにヒビキというものがありますね。これは、伝統霊気で、おもに病気の治療として霊気が役立てられている時代から使われていた技法ですが、高田はわよさんによって海外にレイキが伝わった後は、技法としては伝わっていかなかったようです。なぜ、高田さんが伝えなかったのか?真意のほどはわかりませんが・・・。

共感力の高いといわれる日本人の間では、ヒビキという感覚が共有しやすかったけれども、文化的背景の異なる欧米の人たちに伝える際には、当時はそれがうまくいかなかった。あるいは、怪しいと誤解されがちなレイキのスタイルを、なるべくシステマティックにしたかったので、スタンダードポジションを考案するなどして、あえてヒビキの技法を伝えなかった。

わたしは、そのどちらかだろうな、などと推測しているのですが。どなたかご存知の方がいらしたら教えてほしいです(笑)。

さて、このヒビキという技法を知っているのとそうでないのとでは、レイキの面白さや、効果の出方がうんと違ってきます。ヒビキについては、くわしくはこちらをご覧くださいね。

面白さといえば、ヒビキの感覚も慣れてくると、人だけじゃなく、いろいろな物からも感じられたりするのですよ。

わたしが、暮らしの中で、おお!!!と感じる瞬間は、朝、夫のパジャマを持ち上げる時です。今は、四十肩(もちろんレイキでケア中です)だったり、頭の切れる(ということにしておきましょう)ビジネスマンだったりする夫は、日々とってもとっても疲れて帰ってきます。その状態が、ちゃ~んとパジャマにも反映されているのですよね。

ひどい時は、夫のパジャマを持ち上げた瞬間、あいたた。。。というくらい手が痛かったり、なんともいえないもやもや感をキャッチしたりします。そんな時は、冬場でも一日で速攻洗濯機行きです。

逆に、ヒビキが大したことなければ、少し日と風に晒したあとはハンガーにかけて、もう一晩がんばってもらいます。冬は洗濯ものも乾きづらいし、生地の痛みも早くなるので(それは夏場も同じですが)、洗濯は必要なだけにとどめたいのですからね。

もちろん、自分のパジャマのヒビキを感じて洗濯するか決めますが、わたしの場合はたいていたいしたことないのです。(はい、お気楽ですね・笑)

ヒビキに慣れている方は、ご自分のパジャマを感じてみるのも面白いですよ。身の回りのものには、持ち主や棲んでいる人のエネルギーが反映されるものです。

ベッドやパジャマなんかは、寝ている間にしっかりエネルギーが転写されていますので、それを感じ取ることによって、自分の状態を知ることができます。

ヒビキでパジャマチェック。ぜひ、おためしあれ!


   11月 19

「気づき」の力

夕食の準備をしていました。あと20分程で家族が帰ってきます。

お腹をすかせているだろうな・・・。

帰宅したらすぐに夕食を食べさせてあげたいな・・・。

そんな想いとともに、食事の段取りをしていて気がつきました。

これが「愛している」ということなんだろうな、と。

すると、ふわぁと温かなものが胸の内から広がって、その「愛」のエネルギーが増幅されました。そして、その「愛」とともに在ることのありがたさや喜びを感じると、そのエネルギーは更に増幅され、わたし自身へと無限に供給されている豊かな愛のエネルギーを感じました。宇宙からわたしへと流れ込む太いエネルギーのパイプのイメージを体感したのです。

エネルギーというものは、認識してそこにフォーカスすればするほどそのパワーを増幅させることができます。それが「愛」というポジティブなものであれば、そこにフォーカスし増幅させればさせるほど、そこから豊かさを受け取ることができる訳です。

だから、何かに「気づく」ということはとても大切です。まずは、「気づく」ことから始まって、それを感じ味わって、そうして始めてそのエネルギーを増幅し活性化させていくことができるのです。

わたしたち人間には、そういうことができるのです。良くも悪くも。だからこそ、この素晴らしい能力をポジティブな方向へと生かしていきたいものですね。

夕食時の、ささやかな「気づき」が、なんとまぁ、壮大なテーマに繋がってしまいましたよ(笑)。

レイキにおいても、まずは「気づく」ということがとても大切です。気づいて、気づいて、意識を無限に転換させていくことは、質の良いレイキ実践者にとって欠かせない作業だとわたしは思うのですよ。

レイキ上達の秘訣は、意識の「気づき」にあるといっても過言ではないでしょうね。

はじめの一歩は、まずは、「手を当ててみること」。その積み重ねが、本当にいろいろなことを教えてくれます。

宇宙の真理につながるようなね!


   11月 13

「手のひら」が教えてくれること

先日おもしろい体験をしました。

その日は、少し寒い日で、わたしは毛糸の手袋をしていました。親指を除いて残りの四本の指先だけは出ているタイプのものでした。

わたしは、とある店舗にはいって普段着のハイネックのシャツを選んでいました。

秋冬用に深くて温かみのある色がいいな・・・。

この時、わたしが重要視していたのは素材ではなく「色」でしたので、手袋をはめたまま、気に入った色をいくつか手に取っていました。

ところがいざ決断するとなると、判断がつかないのです。色もサイズも問題ないはずですし、この時、わたしは、素材感を重視していませんでした。にもかかわらず、四本の指先だけの情報では体が納得していない様子でした。なにか、もやっとしたものが対象物とわたしとの間にあってうまく判断できない、といったら良いのでしょうか。

仕方なく、手袋をとって、素手で触って対象物をきちんを確認すると、ようやくわたしは品物をレジに持っていくことができたのです。

いや~。素手で触って確認するという行為はとても大切なのですね。頭では認識できなくても、なんらかの情報を受け取って体で判断している部分があるのだなぁと思いました。

レイキでは、主としてレイキの出どころとして手のひらを使いますし、その手のひらでヒビキを感知していくので、「手」というのはとても大切です。レイキも長くしていると、ヒビキという感覚がほぼ日常になって来るのですが、まだまだ知らないこと、気がついていないことがたくさんあるんだなぁと改めて認識することができました。

また、この時、経絡的に見ても、わたしの手袋は親指だけは全部カバーされていましたので、親指を通る肺の経絡が手袋によって遮断されていました。外部の波動(情報)をキャッチする肺の気の働きが十分に生かされなかったと想像することもできますね。

これからは、手袋の出番が増えてきますが、はめたり外したりと失くしやすい手袋。今の手袋はとっても気に入っているので、くれぐれも落とさないようにしたいと思います^^。


   10月 29

大自然のレイキ

レイキとは、一体何なんでしょうね?

宇宙エネルギーとか、愛のエネルギーとか。宇宙の根源のエネルギーとか・・・、いろいろな表現がされていますね。いまや世界的には(日本ではまだまだですが)多くの人が「レイキ」あるいは「霊気」と称して手当療法やヒーリングの手法として活用していますが、その本質をひとことで言い表すことは難しいかもしれません。

なぜなら、目にみえない「レイキ」は実践する人の心や意識の状態でそのとらえ方も違ってくるからです。

かくいうわたしなどは、レイキを始めてしばらくは、「レイキは波動であるわたしたちをバイブレーションさせているもの」という認識でいました。

その後、さらに実践を重ねていくと、春の雪解け水のように静かにやわらかく心身に浸透してくるそのエネルギーを、「まるで愛そのものだな」と感じるようになりました。

そして、さらに実践を続けていくと、レイキっていつでも身近にあって友達みたいなものだなー、とぐんとレイキとの距離が縮まりました。意識せずともレイキとはいつも一緒で、つねにその息吹を感じているわたしがいました。

そして、いま。わたしはレイキを表現する上で「自然の気」とか「自然のエネルギー」という言葉を選択することが多くなりました。これは、緑豊かなエリアに足しげく通うようになったこととも関係があるかもしれませんね。なんせ、そういうエリアではレイキが満ち満ちていて、そこにいるだけで大自然がレイキをしてくれるのですから!

更に言うならば、わたしたちは、エネルギーの海の中に生きており、意図すればどんなエネルギーも使うことが出来る。そのひとつの方法が「レイキ」として確立されているとも言えるのではないかと思っています。

みなさんは、レイキをどんな風に表現されますか?ご自分のことばでレイキを表現してみるのも、なかなか面白いですよ。


   10月 24

右脳で聴く

先日の雨のあと、一段と冷えるようになりましたね。

実は、いま。いよいよ深まりゆく秋にそっと寄り添うようなあるピアニストの音色にすっかり癒されています。音色ににじみ出るそのピアニストの持つエネルギーの質感が、深まりゆく秋の重さに丁度良いのですよね。

ちょっと冷えるかなと思いながら、秋の森の小道を歩いていたら、ふいにふわりと上質な毛布に包まれてほっとするような・・・。

そんなイメージが広がるそのピアニストの音色。わたしはとても好みなのですが、どうやら賛否両論あるようなのです。

ネットの動画でそのピアニストの演奏を聴きながら、投稿されたコメントを眺めていて驚いたのは、技術的な問題についてシビアな投稿をされている方がいらっしゃるということでした。

はて?そんなにひどいものかしら???

そう思って、「技術的なこと」にフォーカスして同じピアニストの音色を聴いてみると、確かにそういう問題点が無いわけではないことはわたしにもわかりました。

でもね、そう認識したとたん、あれほど「心地よいな~」と思っていたそのピアニストの音色がとたんに色あせてしまったのです。あらら。わたしの耳も節穴だったかしらん。その時は、ちょっと自分にがっかりもしました。

ある時、また同じピアニストの音色を流しながら、別のことをしていました。するとやっぱり「このピアニストの音、いいな~」という気持ちで自然にその音色を受け入れている自分に気がつきました。

この時は、なにか他のことに意識が向けられていたので、そのピアニストに関するネガティブな情報に関してはすっかり忘れていたのですね。つまり、わたし自身は、第三者の情報に踊らされることなく、リラックスした状態で、感じるままに音楽を楽しんでいたという状態でした。

同じものでも、意識のあり方でこうもとらえ方が違うものなんだなぁ、と我ながら驚きました。同時に、「右脳で聴く」とはこういうことなんだなという感覚を得ることもできました。

実は、先日、「右脳で聴く」という感覚を覚えるともっと自由に生きられるよという話を友人から聞いたばかりだったのです。

いやぁ。良い体験をさせていただきました。この体験で、「右脳で聴く」ということを体で覚えることができましたから^^。

それをわたしの言葉で言うならば、「ハートで聴く」という表現になるでしょうか。意識をフラットな状態にして、先入観や偏見にとらわれず、判断しよう評価しようという気持ちも手放して、「自の心で聴いてどう感じるか」ということを大切にする姿勢だともいえるでしょうね。

音楽のみならず、普段からこういう姿勢でいると、他の人や自分のことを判断したり批判したりするという左脳の分析型思考から解放されるので、生きるのがとても楽になります。人間何がやっかいかと言えば、ああでもないこうでもないと頭のなかでつぶやく自分の独り言、ということも多いですから。そこから解放されるということは、精神的にも楽になりますし、意識の上でもかなりの自由を獲得することになると思います。つまり、それは心身のリラックスにつながるわけです。

ということは、レイキをする上でもこういう在り方はとってもプラスになりますよね。レイキは上手にリラックスすればするほど流れやすくなりますし、感受性もアップしますからヒビキの感知もしやすくなります。

というわけで、わたしは、変わらずこのピアニストの音色を愛しつづけることにしましたよ。

みなさんは、この秋、どんな音楽に耳を澄ませていらっしゃいますか?