西向きの我が家は、夏は相当暑いです。それでも、ここ二日ほど、起きて二階のリビングに上がると30度を切っているので、涼しさを感じますね。今日は、湿度も少ないのでさらに体が楽です。
午前中、家事をしていると、呼吸が胸部で少し詰まるような感覚を覚えました。思えば、ここ二日程は公園に足を運んでいません。実は、今日も公園に行くのはやめて他のことをしようかなと思っていました。
そこで、ちょっと深呼吸してみたりして、その違和感を解消しようとしましたが、どうもそういう問題じゃないようです。
そうか、これは「公園に行ってね」という体の声かもしれない。
久しぶりの公園は緑がまぶしく、そこにいるだけで息が深くなっていきます。光と風、緑の息吹を全身に受け、大地にしっかりと足をつけて好きな体の動きをするというのが、わたしの公園での楽しみです。
ここ数日は、公園に行かなかった代わりに自力整体でしっかり経絡調整をしていた効果がバッチリでした。いつもと同じ動きをしても重心が違うし、だからそこから広がる経絡の反応も違ってくる。どうやら、今まで機能していなかったエネルギーの道が目を覚まし動きたがっている様子でした。
これは、前夜までの自力整体のアプローチで、腰および下肢の陰経の緩みが解消され、より機能しやすくなっていた反映でしょう。だから、体に「公園に行ってね」と言われたのですね。それを今度は、別のアプローチで感じて認識し、この変化を定着させなさいということだったのでしょう。そして、また、次の変化に備えるのです。
実際ワークをしていていると、今までにない体感とイメージが湧きました。ワークを終えてウォーキングしていると、まるで数センチ背が伸びたんじゃないかなって思うくらい胸部から頭部に至るエネルギーのラインが伸びエネルギーの道が活性化したようでした。
レイキをしていても経絡は調整されます。たとえば気の滞りや凝っている部分にレイキを送る。するとそこが緩んでエネルギーが動き出し、必要であればそのあと経絡の調整が起こります。レイキはわたしが知る限り、もっとも穏やかなエネルギーの調整法といえるでしょう。
自力整体は、それをもっと積極的に行います。体を動かすことで自分で自分の体を刺激し、経絡を整えていきます。
そして太極拳。こちらは、まだ始めて2年程ですので、わたしが理解できているレベルでの見解にとどまりますが、経絡を意のままに動かしていく鍛錬とでも言ったらよいでしょうか。だから、最初から気感があった方がわかりやすいし面白いです。
わたしの場合は、まずはレイキと出会い、手当の実践を楽しんでいたら、いつのまにか気感が育まれていました。次に、自力整体を始めると体感が鍛えられました。そのまま、レイキと自力整体を継続することで、エネルギーに対する感度が磨かれていきました。
そして今、2年前にとりいれた太極拳によって、レイキと自力整体で養った感性が更に磨かれています。
でもね、わたしにとっては、自力整体も太極拳も「レイキ」なのです。自力整体の時も、太極拳の時も、見えないけれども確かにそこにあってわたしたちを生かし豊かにするもの、つまり、わたしは「レイキ」を感じているわけです。
レイキで養った気の感覚がなければ、自力整体も太極拳もこれほどまでに楽しめなかったとおもうのです。
そして、最初は、宇宙エネルギーとか、見えないものの好奇心から始めたレイキが、実は、気がつけばいつでもそこにあるもの。豊かなエネルギーの海は、いつでもわたしたちの周りに無限に広がっていることに気がついたのです。
もしあなたなら、レイキをどんな風に感じ、どんな風に表現されますか?
教えてくださる方は、コメント欄にどうぞ!