ああ
わたしってこうだったんだ・・・
本来の自分を想いだすかのように
しみじみと
自分自身でいることを
堪能していると
ものすごいエネルギーのシャワーが降り注いでくる
癒しが起きて
新しい扉が開くときは
いつもそうだ
だから想う
本来の自分であることの大切さ
この宇宙は
自分自身でいればいるほど
ゆたかさがもたらされるのだと思う
ああ
わたしってこうだったんだ・・・
本来の自分を想いだすかのように
しみじみと
自分自身でいることを
堪能していると
ものすごいエネルギーのシャワーが降り注いでくる
癒しが起きて
新しい扉が開くときは
いつもそうだ
だから想う
本来の自分であることの大切さ
この宇宙は
自分自身でいればいるほど
ゆたかさがもたらされるのだと思う
すばらしき太極拳だった
目に映るものは
動く風景画
時おり頭上を旋回するハトの群れ
最後の最後
わたしを取り囲むように旋回していったのは
まるで祝福だった
わたしは
また ここに帰ってきた
愛がまだ
微笑む前の
何にもないところ
わたしは
ここにいればいい
人生は思い通り
そんな言葉とともに目が覚めた
この数日間
意識の解放と春へと体が緩んでいく流れの中で
予定のない時は
ひたすら自己レイキと眠る日々
「人生は思い通り」
この一連の変化も
この一言を得たことで終われる気がする
左半身は主に感情の座と言われるが・・・
「人生は思い通りにならない」
そう思って長い間生きてきた感情的な抑圧が表現されたものだったんだな、と実感。
「人生は思い通り」
そんなイメージをもってこれからは心から安心して笑っていたいと思う
わたしが体験している現実は、わたしの頭の中、そのものなのだから!!!
明るみに出た
心の澱が
光になって
砂時計の砂のように
サラサラと
こぼれ落ちてゆく
その様を
感じ味わっていたら
ものすごく心地の良いエネルギーが
光のシャワーのように降り注いでくる
なんてすがすがしく
気持ちの良い感触なのだろう
昨日の気づきのおかげだろうか。
今日は、さっそくその意識に反応する体。
寝起きから体が重たいのは、お天気のせいか・・・、と思いつつ。
まだ、晴れているうちに公園にいって体を動かそうかな、という打算を頭ではしながら、体の内から起こる真の要求は、朝ぶろ。
お風呂にはいって、自己レイキしてみると。なるほど、腎の経絡が反応する。
内またに一本、冷えた筋がある。
そして、腎臓にも手当する。
その時、ふと気が付く。
「想いは大事だが、想いを捨てていくという視点も欠かせない。」
今日のわたしは、もう昨日のわたしではない。
腎臓が、原尿の99パーセントを再利用し、1パーセントを尿として膀胱に送るように。
お風呂から上がると、ほんの少しだが熱っぽい。熱は測らなかったが37度くらいはあったのかもしれない。
それから、終日、尾骨がモゾモゾ、喉、弱い右ひざの下、など、違和感がずっとある。
こうして、わたしの意識も、そして体も。
新しい季節を迎える。