モーゼが
海を割ったように
眼前に広がる
わたしのための
道
時に、そんな光景を感じることがある。
週に一度の太極拳のレッスン。
この秋で六年目になる。
先日。
他のメンバーがみなお休みで先生と二人きりだった。
こんな時は、レッスンが始まる前や、レッスンの合間。そして終わった後も。
ふだんはできないお話をたくさんする。
この時は、公園で太極拳をした時の気づきを先生にお話ししたら、「うんうん」ととてもうれしそうに相槌を打ってくださった。
そして。
「かおるさんも、もう、教える域に入ってきたよね・・・。」
と、思いがけない言葉をいただいた。
でも、それは。
このところの太極拳をした時の内なる感触の変化が、自分の思い過ごしではなく、傍目にも、見て取れるのだなと素直に嬉しかった。
わたしが、太極拳を教えることができるのか、どうだかはわからない。
わたしにとって、太極拳は、動くレイキ。
太極拳を深めることで、わたしのレイキも深まるし、それが、仕事の面でもものすごくポジティブに作用している。
そしてなにより。
大らかな気持ちで自然体で生きている先生に、毎週会うことはとてもいい。
小鳥のさえずりのような朗らかな先生の声。
おおらかで美しい先生の動き。
嬉々として太極拳を教えてくださる先生と、時を同じくすることはとても心地がいい。
先生を越えることはできないけれど。
いつの日か、レイキの手当と同じくらい、自然に、自在に、套路ができるようになった時。
みんなで、青空太極拳。できたらいいな、と思う。
今日は
であった瞬間に
元気だなと思った
話題もポジティブで
自分が夢中になっていることを
嬉々として話している
美人度だって
人相がかわったかのようにアップしている
笑顔と感謝のひととき
週に一度のレイキの積み重ね
確実に花開いてきている
こぼれ出る
もって生まれた輝きに
わたしの心は
静かに歓喜していた
意志とは
ろうそくの
芯のよう
ろうそくは
芯がなくては
うまく燃えない
気体となったろうには
方向性もなにもない
ただ
危険が伴うだけである
しかし
芯があるからこそ
ろうそくは
長い時間をかけて
静かに燃える
まるで
ゆるぎない
ひとつの意志が
覚悟をもって
燃え続けているかのようだ
さぁ
わたしたちは
どんな「意志」を持って生きるのか
どこに向かって生きるのか
芯となる意志は
とても大切だ
それが本質的であればあるほど
その生の終わりまで
とだえることなく
燃え続けるだろう
圭さんのアートレッスン。
その余韻はいまだ大きく、まだまだわたしというエネルギーフィールドの中を駆け巡り、静かに、でも、確実に化学反応進行中。
これまでプライベートスペースに飾られていた最新の絵をはずし、旧いものも引き出して陽光のもとに晒してみました。
光というもの。
つたないわたしの絵を、何倍にも美しく見せてくれます。
そんな光のもとで、改めて眺めてみる。
これまでの軌跡。
それはわたしという個をまとった光の軌跡。
圭さんは言う。
「わたしは、体のことを言っているのでも心のことを言っているのでもないのですよ。光の領域の話をしているのです。」
こんなことをいっているから、いつまでたってもメジャーにはなれないのですけれど、と笑いながら・・・。
「がんばらなければがんばらないほど、愛なんです。」とも。
それは、「開く」こととも、似ているな、と。圭さんのことばを聞いて想いました。
つぼみのように、かたく心を閉ざすには、とてもとても力がいる。
でも、開くことに力は要らない。
ただ、自然にまかせればいいから。
花が光の方を向くように。
風がこの葉を揺らすように。
心が愛に花開くことは、実は、とても自然でやさしい。
レイキというのは、そういうことを手当という体験を通じて体で覚えていくことができるすばらしい道だと思う。
そして。わたしもそんなことを言っているから、やっぱりメジャーではない。
でも、光を感じて生きる事。
自分が愛なのだと知って生きる事。
その素晴らしさを知ってしまったら、もう後戻りはできない。
同じ道を歩む仲間を増やしたいなら、わたしは、愛だと言い続けなければならない。
なぜなら、それが、世界の平和とこの星の未来のために、わたしにできる唯一のこと。
だから、わたしは、自分が愛であることを体現しつづける。
今回のアートレッスンでは、圭さんの在りようが、これまでになく深くわたし自身に響きました。だからこそ、こうして、今。わたしは、またひとつ腹をくくることができたのでしょう。
光に晒した、これまでの光の軌跡があまりにもきれいで、思わずカメラを持ちだしたのですが・・・。
そんな気まぐれな行動が、私の中の欲求を言葉にする機会をくれたようです。