なんとも気分のすっきりしない、やる気のしない日もあるものです。
先日。旅から帰宅した直後のある日、何とも気分のすぐれない日がありました。
自力整体で体をつぶさに感じてみても、特段、ものすごく調整が入るような経絡の動きがあるわけでもなく、 特別な不調がある感じでもないのですが、やる気というものがまったく湧いてこないのです。
幸い、なんの予定もない日でしたので、ソファに横になってなんとなくレイキを始めました。
すると、頭部がものすごくレイキを吸収するのですよね。そういえば、前日は軽く頭が痛かったことを思い出しました。その時は、 特段手当することなく過ぎてしまったのですが、予兆が出ていたのですねぇ。旅の疲れもあったのでしょうか・・・。
頭部の中でも、前頭部(生え際のあたり)と後頭部(頭頂から少し下がったあたり。ここは経験的に膀胱経の反応点だと認識しています。) に手を当てると、まぁ反応のすごいこと。ヒビキがどうこうというよりとにかくレイキを吸収するのと、それにしたがって反応する経絡が よく動くので、一切を内から沸き起こるその自然な動きに任せていました。(これは、野口整体でいう活元運動と似ていると思います。)
そうするうちに眠ってしまうのですが、また意識がはっきりしてくるとレイキをするということを繰り返しながら、 途中、昼食をはさみ、引き続きレイキをしながら眠るありさま。ふと、気分がすっきりしたなぁと思って時計を見ると夕方の5時を過ぎていました。 そして、その時には、もうレイキをしたいという欲求がなくなっていました。
レイキをしている最中は、レイキが自分の中に入ってくる感じや、経絡の動きに合わせて体が調整されていくのは、 とても気持ちがいいのですが、相反して、自分の中から湧き出てくる想いは重苦しいものでした。(もちろん、レイキを終えたあとは、気持ちも軽やかになり、あの重苦しさはなんだったのだろう?という感じでしたが。)
思考がどうしても重たい方、重たい方へと行くんですね。そして、なぜか、思い出したくもない出来事を思い出すのです。
でも、これもヒビキと同じです。ヒビキはわたしたちのエネルギー(気)の状態をただ感じ取るだけなので、 そこに良いとか悪いという基準はありません。どんなヒビキの感触も、わたしたちがひたすら積み重ねてきた「今」の無限の重なりにすぎないのです。
こういう時は、沸き起こる感情をただただ見つめます。つまり、ありのままの自分を見るのです。 判断せず、罪悪感に陥ることなく(ここが、ポイントです!)、その感情が流れるに任せます。
罪悪感とは、まさに、愛の反対語。
罪悪感を持つほどに、愛とは程遠い重苦しいバイブレーションが増幅され、足元がずぶずぶと沈んで奈落の底に落ちて行きます。(経験者は語ります・笑)
だから、こういう時は、くれぐれも罪悪感を持つことなく、自分の内から湧き出てくるものを静かに観察することが大事なのです。
この大いなる宇宙の元では、良いも悪いもないのだということ。その証拠に、この宇宙では人間のやりたい放題したい放題ですね。 宇宙はダメとは言わないのです。ただし、与えたものが戻ってくるというこの宇宙の唯一の法則により、わたしたちの世界は けっして楽観視できる状態ではありませんけれど。(すべてはわたしたち人間の責任。つまり、ひとりひとりの自分の責任なのです。)
体験したことすべてが宝物であり、そこから学んだことを生かして、「今」を生きることが、わたしたち人間に与えられた 使命であること。そして、ひとりひとりが、自分のために、他の人のために、この地球のために、 瞬間瞬間、最善の選択ができるようになることこそが、この世界を救う最短の道だと思うんですよ。
ダークな日。それもOK。 でも、そんな時こそ罪悪感を持たずに、自分にやさしく過ごしましょうね。 もちろん、罪悪感を持たないと決めるのも、自分の選択ですよ。
PS.この翌日、自力整体をしたら、まぁ、膀胱経を中心とした経絡の伸びの良いこと!こうして、ちゃんと効果が感じられるのはうれしいですね!