ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   11月 04

父母への遠隔

こちらに戻って、時間をみつけてはちょこちょこ父と母への遠隔を試みています。

母に、父へのレイキは教えたものの、一日20ー30分でも手を当てることができれば 良いほうかな・・・と思っていたので、わたしの方でも れきるだけサポートができればなと思っていたのです。

先日、車の中でしたか、助手席で父に遠隔を始めると、開始直後から、妙に気が充ちていてあたたかい感じがしました。

あー、これは、母がしっかりレイキをしていったんだなぁ。 いや、時間的には、ちょうど今レイキをしている頃かもしれない・・・。

そんなことを感じました。

それで、電話した時に、母にレイキの実践具合を聞いてみると、なんと毎日1時間以上はしっかりと父にレイキを しているのだとか!

今日(この記事を書いている日)なんて、1時間20分やったよ、と。

すごいね!と驚きを隠せないでいるわたしに、「わたしはやる時はやるんだよ」と。

いやはや頼もしい!!!

母には、手をあてるポイントをいろいろ教えてきましたが、患部を前後からはさむ形で手を当てるのが 父のお気に入りだそうです。

母には、まだ、細かいヒビキの変化などはわかりませんが、父に手を当てると、手がじんじんしてなにか圧力がかかってくるような感じがするのだそうです。

時々は話をしたりしながら、1時間なんてあっという間にたってしまうとも言っていました。

毎日このくらいしっかりレイキをしていくと術後の経過も促進されるというものです。

今日も助手席で1時間ほど父に遠隔をしましたが、母が対面でレイキをしっかりしておいてくれるおかげで、 遠隔でもとても手ごたえを感じるのです。

患部と思われる場所のエネルギーのしこりをすっと感知でき、その部分にレイキを作用させていくことがとてもスムーズにできるのです。

患部の周辺に広がるエネルギーのひきつれ具合もしっかり見えました。

それは、濃密で圧縮された感じもあり、低く鈍い音を放つようなイメージ。きっと、このエネルギーの状態が、肉体に症状として 具現化されているのだなと思いました。

初期のガンは摘出しましたが、こうしてレイキをしていくと、内部の不具合を感じることができ、 そこにレイキをしていくことで治癒を促進することができます。

この調子で、母の対面でのレイキと、わたしの遠隔とを続けていくと好転反応も出てくるかもしれません。

そう思い、今日の遠隔の様子と好転反応への注意を母に電話で伝えました。

すると、何も食べていないのに今日はげっぷをよくしていたし、レイキをしていると咳もでるよ、とのことでした。 (ちなみに、この日の遠隔では、レイキを送っているわたしの方も咳こむほどでした)

いままで、自分にも父にも、手を当てる、ということになかなか向き合えないでいた母でしたが、 こうして互いにレイキをした結果を電話で話す日がくるなんて、本当に感慨深いです。

実は、今日は、助手席で母にも遠隔をしました。(行きは母、帰りは父に^^) わたしは、母の弱点である腰や下腹部にレイキをしているのですが、母の胸部のあたり(ちょうど母が父にレイキをしているあたり) もよく反応するのです。

これは、きっと、母が父にレイキをしている部分が、母自身のそこにも作用していて、レイキに反応しやすくなっているのですね。

レイキをしていてよく想うのは、わたしたちは、本当に互いが鏡だということ。

相手にしてあげているようでいて、その実、すべては自分のために行っているようなもの。

手を当てるとは、相手を癒すようでいて、その実は、自分の癒しなのだということ。

レイキをすればするほど、癒しというものにかかわればかかわるほど、そういう感覚になってきます。

 


   11月 03

父の入院3

わたし自身、まだレイキを始める前。病気のこととか、体のことにはまったく無頓着だった頃、 右側の乳房に小さなシコリを発見し摘出手術をしました。

といっても、局部麻酔の簡単な日帰り手術でしたけれどね。

その当時は、病気という現象について自分なりの考えがなく、どう解釈してよいのやら、どう対応してよいのやらまるでわからず。

当時かかっていた病院では、「しこりは今摘出してもいいし、しなくてもいいし。でも、この先大きくなると摘出が大変になるよ。」 とだけ言われ、どちらにするか自分では決められませんでした。また、担当の医師の方の雰囲気になじめず、病院を変わりました。

すると、そこにはたまたま乳腺外科の権威の方がいらして、わたしのしこりの触診と、抽出された粘性のある液体を見て、 「これはとった方がいい」とひとこと。

確信と自信に満ちた先生のことばが、響いたのですね。そのひとことで、わたしは摘出することにしました。

摘出したシコリの病理検査の結果は、一部の研究者の中には、ガンの萌芽的なものと見る向きもあるという程度でしたので、 その後はとくに治療ということはなく、要経過監察となり、それから7年ほど、毎年夏になると山の上の病院へ行くのが通例となりました。

その間に、わたしは、レイキを始め、「癒し」ということに目覚めました。自力整体にも出会い体質改善を進めていきました。 そうした経過の中で、自分の胸にそういうしこりができた理由を、自分なりに理解し、受容していったのです。

(ちなみに、胸部へのレイキは相当しました。とりわけ第二シンボルにはお世話になりましたね。当時は、胸に手を当てると、 万年雪に雪解け水が浸透していくようなレイキのやさしさを感じたものです。それほど、わたしの胸部はがちがちで冷えていたのですね!)

そして最後の夏。「細胞の状態がよくなってきているね」と、乳房の写真(超音波検査の結果か何かだったと思います)を指さしながら、 先生に言われた時に、結局は、乳房全体の状態がよくなくて、そこにしこりができたのだと知ったのでした。 病院では、しこり、というものをどうするかについてだけフォーカスされてきたので、 乳房全体の状態の話などされたことがなかったのです。

それで、検査は終了となり、あとは、乳がん検診を毎年個人的に受けるようにと勧められました。

わたしの病院体験といえば、このくらいですが、その時、信頼できる先生との関係性はとても大事だなと思いました。 先生のひとことが、患者のこころを安心にも不安にもさせるのです。

今回の父の入院について、わたしはその病院の詳しいことはまったく知りませんが、 医師や看護師さんなど、まさに、生き死ににかかわる医療の現場に携わる人たちの心というものに 深く感銘を受けました。

とくに、手術室の前で待機している時。手術に立ち会っている看護師さんが、最初と中間、そして終わりに経過報告を してくださったのですが、その方の真摯な気持ちが痛いほど伝わってきて、目頭が熱くなりました。

他の人の命のために働くたくさんの人たちのおかげで、こうして、父が手術を受けられることがとてもありがたく、 感謝の気持ちでいっぱいになりました。

もうそこには、失敗したらどうしようとか、何か事故があったらどうしよう、という疑いが生まれる余地はなく、 不思議と安らかさと温もりと・・・。愛と信頼、そして感謝の気持ちがただただ満ちていました。

なにがどうなっても、わたしにできることは、ひとつしかない。

それは、わたし自身が「愛」であるという認識を持ち続けること。そしてその中で、レイキをしていくこと。

そうしたことのチャレンジの場でもあった今回の体験でした。

そして、レイキなど代替医療と現代医療と。ともすると対立的な構図を生み出してしまいがちですが、決してそうではなく、大切なのは、どちらのアプローチであってもその心であるということを実感したのでした。

 


   11月 01

父の入院2

TS3U0151今回の父の入院は、母にとっても意識の転換を図るとても良い機会になっているようです。

昨日の夜。バレット食道という症状について、その発ガンのリスクが高いという話から悲観的になる母に、 わたしはこんな話をしました。

「今の段階では、初期のガンを無事摘出できたのだし、そのことはエネルギー的にも現れているのだから、 今、それを心配する必要はない。今、できることをきちんとしよう。

また、胃酸の逆流で食道の一部の細胞が変質してしまう、という症状に関しては、 食道に対する胃の侵略、とも解釈できるね。 ということは、父の攻撃的な部分(普段は口下手で動物や植物をかわいがるやさしい人ですが、 気持ちの表現がスムーズでなく、何かのボタンが押されると、激しい怒りからとても攻撃的な言動を発します。 それははたから見ていてもとてもアンバランスで、癒えない心の傷を抱えていることがよくわかります。) が、そういう症状となって現れているかもしれないよね。

それは、父が自覚して、自分を変えていくしかないけれど、 レイキには精神的な効果もある。身近な家族が手を当てていくことで自然に癒えていく部分もある。

だから、お父さんにはレイキをきちんとしていくことと、 食事の面ではもう少し量を減らすといいかもしれないね。」

すると、母がすっとわたしに手を当ててきました。わたしが、病院で父に手をあてていた時のように、 胃のあたりを前後からはさんだのです。

「こうやればいいの?」

少々驚きましたが、これは、本気だなと思いました。

母には、わたしがレイキを教えはじめた時にアチューメントをしていますし、 自力整体や太極拳もしています。先天的に気にたいする感度がものすごく鋭い人なのですが、 いままでは、レイキをなかなか日常的には使いこなせないでいたのです。

そして、今日。病院では母と一緒に父へレイキをしました。そして、患部はもちろんのこと、 手を当てるポイントをいくつか教えました。

写真は、そんな母のレイキをする手です。

わたしが帰った後も、30分ほど父にレイキをしたのだそうです。

おお!それはがんばったね。すばらしい!!!

「なんだか、今は、新しい目的ができてわくわくする!」

別れる間際の母のことばでした。

そうかそうか、そういう気分になれたのなら大丈夫だね。

これからも、気持ちがぶれることはあるだろうけれど、 そのたびに「心配しても無駄だった!」って思い出して、気持ちを切り替えてね。

そして、今できることをしっかりやろう。 お父さんは、大事なことをきっと身を持って教えてくれているんだから^^☆


   10月 31

父の入院

父が、食道ガンの手術をするというので、実家に駆けつけました。

家族が病気で入院するというのは初めてのことでしたし、レイキで何か役に立つことができればと思ったのです。

10月に入ってその知らせを聞いていたので、父には、遠隔を何度か試みていたのですが、 胸部から胃にかけてのヒビキと違和感はかなりのものでした。

入院当日から手術までの二日間と、手術直後と翌日と。ベッドの傍らにいる時間は、なるべくレイキをしました。

術前のヒビキは、熱感とともにジンジンと深部から響くなんとも言えない感覚で、痛みも感じました。

特に初日は、レイキが患部に浸透していくのに時間がかかりました。 硬くしこっていてなかなか受け付けない感じが、ガンだけに頑固なのかなぁ、と思うくらい!

内視鏡での手術は、大事なく終了し切除した患部を執刀医の方に見せていただきました。 長さ3センチ程の楕円の薄い肉塊の中に見える1センチほどの赤黒い点がガンでした。 切除しやすいようにガンを染色するのだそうです。

術前にしっかりとレイキをした安心感があったので、手術室の前で待っている間、 愛と信頼と感謝の気持ちをこめて、 執刀医の方、サポートしてくださる医師や看護師の方など父の手術にかかわる人たちを含め、 父を取り巻く手術という状況にレイキをさせていただきました。

普段、こういうレイキの使い方はあまりしないのですが、さすがに自分の親となるとわたしの行動も 変わるものですね・笑。

どのくらいの時間そうしてレイキをしていたかは覚えていませんが、ふと、もういいかなと充ちた気持ちが したのでレイキを終了し、どうしてもネガティブに気持ちが傾く母を元気づけたり、本を読んだりしていました。

手術は2時間ほどで無事終了し、看護師さんたちが引いてくれるベッドの上で横たわり麻酔でぼんやりしている父とともに病室に戻りました。

そして、もちろん、その直後からレイキです。 父の場合、術後は絶対安静でしたので、患部の上からそっと手を当てたり、手のひらを握ったりしてレイキをしました。

麻酔の影響で代謝が落ちて指先がかなり冷たくなったりはしていましたが、患部と思われるエリアはレイキにはよく反応していました。 じりじり・じんじんという感覚とともに熱感がよく出ていました。

(病院では、症状にもよるかもしれませんが、点滴の管や、医療機器のコードなどベッド周りにはうっかりひっかけると大変なことになってしまうものがあります。 うっかりは許されないし、ちょっとした不注意が大事故につながりますから、細心の用心をしてレイキをします。)

そして、今日(術後の翌日)、患部にレイキをさせてもらうと、手術直後にくらべると随分と反応も穏やかになっていました。 ベッドの上で上体を起こすことはできたので、患部とともに頸椎や胸椎など背後からもレイキをしてみると、術前とは明らかに 違いがありました。

あの、深部からあがってくるなんとも言えない感覚がほとんどなくなり、何かすっきりした感じがするのです。 もちろん、ヒビキはあるのですが、確かに何かがなくなったんだな、という感じ。

患部を切り取るということは、こうして確かにエネルギーとしても現れるものなのですね。

父の場合は、2年ほど前に、バレット食道という症状があることがわかり、発がんのリスクが高いということで年に一度 経過監察をしていたのですが、今年になってガンが発覚しました。

この症状がある限り、今後もそのリスクが高いことには変わりないのですが、レイキを日々継続していくことで その可能性に変化を与えていけるのかなと思っています。

ということで、心配する母に、父へのレイキをしっかり教えています。 今まで、何度となく「お父さんにレイキしてあげるといいよ」といっても実践できなかった母ですが、 これを機に、レイキを実践することで、父、および自分自身との関係性をみつめ、新しい世界を創造していってくれればなぁと思っています。

なぜ、父がバレット食道という症状を発生させ、今回のがんに至ったのか。 それは、誰にもわかりません。

でも、今回の父の病気をどうとらえ読み解いていくかで、その後の父と母の人生が変わってくると思うのです。 そして、その姿勢にこそ治癒のカギがあるとわたしは思っています。

 

 

 

 

 

 


   10月 24

ビッグバン過去になる~口内炎が教えてくれたこと~

1024kinpira前回、口内炎の記事を書きましたが、今回は、ちょうどその反対の右側に口内炎ができました。

右側に口内炎ができるなんて、ほんとうに記憶にないくらいで、いつもはできるとしたら左側でした。

まぁ、こうして右側にも変化がでるということは、体が大きく動いているといことしょうね。

今回もまた、鏡を見ると、中央が立派に白くなった口内炎がふたつも。かなり腫れています。そして、やはり、口内炎にレイキを する気にはなれません^^;。

就寝時に、体に手を当ててみるのですが、左側の口内炎の時のような激しいヒビキはまったくないのです。 こりゃ、どういうことかなぁ。

翌日、自力整体を行ってみると、腹部がちょっと硬い感じ。それでいて、あんまり体が刺激を欲していないようでしたので、 自力整体はいつもより軽めに、体の様子を見る感じで行いました。

口内炎の経過もゆっくりで、何日も腫れたままあまり変化がありません。

そんな時、こかげの会で、みなさんとレイキをご一緒する機会がありました。(その時の記事はこちらです。)

すでにおなじみの方々したので、レイキの相互練習が終わった後は、わきあいあいとティータイム。

おひとりの方から、 「かおるさんは、大変な時期(わたしが2012年のビッグバンと呼んでいる出来事です^^)をどうやって乗り越えたのですか?」との質問が。

それに関して、自分の体験を具体的にシェアさせていただきながら、わたしの中では、とっくに整理済みで解決していると思っていたことなのに、 どうして、またこうして語る機会を与えられているのだろう?と不思議に思いました。

みなさまがお帰りになって、「やっぱりこかげの会はいいなぁ」と余韻にひたりつつ、ふと思いました。

わたしは、2012年のビッグバンをもう一度言葉にして語る必要があったのだと。

そうして眠りについたら、その時かかわった人が夢に出てきました。

目覚めて思ったのは、とてもうれしかったということ。わたしたちは、ただ違うのだ、ということ。しあわせに満ちた朝でした。

そして、口内炎も小さくなっていました。

きっと、今回の右側の下唇の裏側にできた口内炎は、わたしの中に、 完全にはまだ解決していない、燃え尽きていないことがあるのだということの一つの表現だったのでしょうね。

口内炎が快方に向かった時、もう一度自力整体をすると、明らかに以前とはエネルギーが違うのがわかりました。体がホカホカとあたたかく、柔軟性が増していました。

そして、今日。思い立って最後の儀式をしました。

その、ビッグバンにまつわる思い出を、花壇の土に埋めました。

どこかの山に埋めるとか、川や海に流すのではなく、我が家の花壇の土である、ということがポイントです。

なぜなら、土はわたし自身だからです。

そう、わたしの中に完全に受容したのです。

闇だと思っていたのは、ほんの光の気まぐれ。 そもそも宇宙は愛なんだから。

そして、もう、2012年のビッグバンは完全に過去になりました。

この、口内炎。きっと、わたしの中でくすぶっていた過去を教えてくれたに違いありませんね。

体の変化はまだまだ続いています。もう少ししたら安定すると思いますが。

先ほど、夕食をいただいた時。煮込みハンバーグの根菜の味があまりにヴィヴィットで驚きました。 波動(パワーと言ったらいいのかな)がしっかり伝わってくるのです。

写真の、きんぴらも、沢庵(こちらは、らでぃっしゅぼーやで買ったもの)も、とてもおいしかった。

味覚の感度も一段アップしたみたいです^^☆

PS.大好きな作家さんの器に盛り付けたらうれしくて、写真を撮りたくなりました。ごめんなさい、作家さん、器の魅力はあまり表現できませんでした・笑。