ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   1月 17

新たなる平穏

ああ、わかった。

「媚びている」、というこの感覚が嫌だったのだ。

ある時期から、時々、わたしの中に頭をもたげては、問を投げかけていたこの感覚。

なにか感じる時。

それが、心地よくないものの場合。

人には、それをだれかのせいにしたくなるという弱さがある。

そういう足かせに、逃れ囚われしながら、幾度となくこの感覚と向き合ってきた。

実際、とらわれて、相手のせいにしたことが、何度もあったと思う。

違和感のタネ。

つまり、そういう感覚を生み出す思考というものが、 かならず自分の中にある。

その真の姿をとらえた時。

それは、もう、二度と姿を見せることはなく、あらたなる平穏が内に訪れる。


   1月 15

意図は糸

なぜにこんなにのびのびしているのか!

それは、自分で自分を縛っていないからだ。

わたしは、もう、満足している。

今の在り方が非常に気に入っている。

この心地よさを継続していったら、どうなるか。
どんな自分の世界が創造されていくのか見てみたい。

しかし、そこまで純化されていても、
まだまだ周りの価値観、世界観に惑わされる。

意図(思考)は糸(経絡)。

惑わされた思考は心を結ぼらせ、体を縛る。

そして、心の目を曇らせる。


   1月 13

良き洗脳

目を閉じて、眉間で陽を受ける。

鮮やかな光の世界が我がうちに広がり、満たし、流れていく。

それは、あたかも、滝行ならぬ、「光行」。

荘厳で繊細な光の滝が降り注ぎ、心の塵や灰汁を清めていく。

浮かんだ言葉は「良き集中」。

わたしは、こんな風に太陽とコミュニケーションするのが好きだ。

お気にりの公園に、朝、足を踏み入れる時、一番にこれをする。

そしていつも思う。

陽の光というものは、どうして、これほどまでに人を肯定的に導くのであろうか。
良き洗脳者たるのであろうか!!!と。


   1月 12

祝福

「どうしてこんなに冷たいの?」

「水仕事をしていたからね。」

彼は、何気なく答えるわたしの手をとると

「ありがとうね」

その温かな両手で包んでくれた。

家事って本当に地味な仕事。
心をこめればいくらだってこめることができるし、手を抜こうと思えば、いくらでもぞんざいにできる。

しかしこのごろ。

活性化する腹の力とともに、掃除や料理をはじめとした家事にまつわる手仕事をしていると、あふれ出る感謝の気持が、心から手へと伝わって、わたしが触れるものすべてを潤していくのがわかる。

その潤いを感じる時、何をしていても心地よく楽しい。

そして、そんな心持ちで日々をすごしていると、こんな風に、何ものにも代えがたいやさしさで祝福される。


   1月 12

水仙

森の中。

遊歩道の階段を下っていると、一筋の風が鼻をつく。

かぐわしい水仙の香を宿していた。

根本には光もささないこの場所は、落ち葉と木々ばかり。

陽のあたる水辺に出ると、ほとりに、水仙が少しばかり集まって咲いていた。

しゃがんで、顔を近づけてみるけれど・・・。

あの香はない。

あいにく、柵があってそれ以上は顔を寄せることはできない。

不思議だ。

一筋の風が運んだあの香り。

水仙たちの語らいを、一瞬聞いたような気がした。