ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   12月 26

いのち

inochi春と秋。
恒例となっている八坂圭さんのアートレッスンにて生まれた絵はプライベートスペースに飾っていて、一日に何度も眺めます。

この絵が生まれたのは、10/25。

それからおよそ2か月。

数日前。ふと新しいイメージが湧きました。

青いラインの底に見えたのは、あぐらをかいて座る大仏のような姿。 何か楽器を持ち、今この時にたゆたうような・・・。ゆるりとした美しさ、ときめき・・・。

その瞬間閃きました。

おお!
この青は、混沌とした光の世界に、むんずと生まれた一つの命である、と。

いやー、びっくり。

絵を描いた直後は、とてつもなく大きな宇宙を感じつつも「生まれる」とか、「ビッグバン」とかそんな単語でしかとらえることができなかったのですから。

この、大仏のような人のイメージが、わたしに新たなる豊かさを 届けてくれたように思います。

この絵のもつ世界観の広がり、奥行きが、いっきに見えた感じ^^。

<追伸>そして、今、ますますゆたかに、この絵が発する、音、歌、光。動きとなってわたしにせまってきます(笑)。2014.12.28


   12月 23

新しき領域

今日も良い天気。
青空が眩しい。

午前中の公園にて体を動かす。

昨日今日。

これまでと、体が全然違う。

経の弾力が一気に加速している。

套路をおこなえば、肩の位置が下がったと感じられるくらい力が抜けて、
心地よく動くことができる。

自分で動いているのでなく、経絡の自動運行という感じ。

わたしが行うのは、ただ、「イメージ」のみ。

なんと、うつくしき創造であろうか!!!

しかし、この急激な変化。

いったい何が・・・。と考えてみると、思い当たることがひとつ。

10月の終わりから、朝食に雑穀スープと、白いご飯を食べるようにしたこと。

そのおかげだろうか・・・。

陰の経が引き締まって、腰が安定し、その上に上半身が乗っているという感覚。
だから、力がいらない。

(腰が緩んでいると、上半身は自分でがんばらないといけない。)

こんなに、やわらかくて軽やかで、開放的な世界があろうとは!!!

そして、なんだか、とてつもなく良いイメージが生まれ広がっていくのです。

ああ、体は知っている!!!


   12月 22

わたしの2015年

2014年12月22日。冬至と新月が重なる日。

19年に一度しかない朔日冬至。

正確には、冬至新月ともに午前中にその時刻を迎えるとのこと。

天体的には、今日こそが、はじまり、ですね!!!

今朝の公園。
一足踏み入れて、その美しさに息をのんだ。

目線の先にひろがる、青い空。
かがやく太陽。
すっかり葉を落とした樹々の合間に、まだ美しき紅葉の名残る木々。
大地に落ちる樹々の影。

まつ毛に反射した光が、いくつもの虹色の光の環を創る。

息を大きく吸って、いま、この瞬間の、青空を存分に感じる・・・。

2015年のわたしのイメージがやってきた。

「よろこびの周波数から生まれる創造」

よろこび、とは。

この世界に在るというよろこび。
生まれてきたよろこび。
命であるというよろこび。

それは、本来は何にも制限されることはない。

いつでも、どこでも、なにがあっても。

自分の中心軸は、「よろこび」であること。

その感覚を強く太くしていく。

そんな2015年になるだろう。


   12月 17

こちらワクワク宇宙チャンネル!

朝のホーム。
見上げれば、青い空。
この胸に、体に、沸き起こる喜び・・・。

そうだ、空の青は、よろこびの周波数だ・・・。

そんなことを想ったのをきっかけに、つらつらと出てきたことばたち。

青き空
よろこびの
周波数

みたいテレビを
見るように
意識のチャンネルは
自分で選ぶ

わたしのお気に入りは
宇宙ワクワクチャンネル
よろこびの周波数

チャンネルの
あわせ方は簡単

いつでも
自分の喜びを
思い出せばいい

そうでなくとも

青き空
一輪の花
鳥のさえずり
せせらぎの音・・・

そして
太陽や
人々の微笑み

あらゆるものの
存在の喜びが
その周波数を
教えてくれる

こんな日はいい
まぶしいほどの
青空が
わたしのよろこびを
増幅してくれる

そして、わたしは、青空を見上げながら、胸を、体を、心を開いて存分にその喜びを呼吸するのだった。

内にも外にも。
さまざまな存在、現象がある。
人は、自分の価値観でそれを意味づけする。
わかりやすく言えば、良い、悪い、など。

この次元を飛び交う雑多な情報 ――― 自分を含めた人々の価値観、多くの人たちが共有している概念や習慣など ――― に、飲み込まれてしまうと、自分が何をどうしたいのかわからなくなってしまう。

だからわたしは、なにはともあれ、まずは、自らの喜びにフォーカスする。
すると、その喜びを中心とした創造がはじまる。
そして、予期せぬ美しさ、感動、もてなしにであう。

まさに、愛という喜びの一滴が、湖面の波紋を描いていくかのように。

いいかえれば、それは、つまり、もっとも純粋な自分自身であるということかもしれない。


   12月 11

創造

まだまだ知らない、気づいていないしあわせがたくさんあるなぁ・・・。

と、心がつぶやいた朝のホーム。

そう。
こうして、何かが緩んだ時はじめて、心を縛っていたのは自分なのだと、いつも知る。

そして思った。

まだ知らぬ、想像さえできぬ世界をみたいから、わたしは生きているのだと。

それは、山登りと似ているかもしれない。

自分の足で歩き、気づきの目で心を開くほどに、知らない世界が見えてくる。

それは、一足跳びにはいかない。
一歩一歩、積み重ねた歩みの先に、ある日突然やってくる新しい世界。

それを「創造」と、人は呼ぶのだと思う。