ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   12月 04

愛という恍惚

すでにわたしは、人として、もっとも得難いものを体得しているのかもしれない。

ならば、そこから発信しよう。
そこに、居続けよう。

わたしが、そうあることで、ひろがっていくしあわせの波紋を信じよう。

愛という恍惚が教えてくれること、せいいっぱい表現していこう。

そのための、わたしは道具となろう。


   11月 24

ついに、卒業!?

今朝がたの夢。
四時過ぎだったか目が覚めて、もう少し眠れるなと、前日から調整中の左肩甲骨の小腸経にレイキをしながらふたたび眠りに落ちると・・・。

そこは、とある大学の国文学研究室。
机の中央には、一冊の卒業論文が置いてあります。
どうやらそれはわたしが書いたもので、良い見本として公開されているようなのです。

その上、わたしは当時苦手だった助教授と、問題なくコミュニケーションしているようでした。

実は、わたし。学生時代は、古文のことばの響きが好きというだけで、清少納言や紫式部にあこがれて文学部に。そして、3年の進級と同時に国語国文学研究室に入ったのですが・・・。

研究室には寄り付かないし、教授とのコミュニケーションはほとんどないし・・・。

かろうじて卒論は書き上げて単位は認定してもらったものの、口頭試問では、「もっと苦労してほしかったねぇ」と教授に言われる始末。

単位も、余裕を持って多めに取る、というタイプではなかったので、そんなに余裕がなかったのですよね。かといって、落第するほどギリでもなかったのですが(笑)。

しかし、当時は精神的にはよほど窮していたのか、卒業して20年すぎた今でも、「単位がたりなくなりそう」というシーンと、「卒論が締切間近なのに何もやってない」というシーンが必ずセットになっている夢を時々見ていたのです。

そして毎回、夢の中で、「実際わたしはすでに大学を卒業しているのだから、これは夢なのだ!」と気が付くのがお約束。

我ながら、この夢のエピソードに象徴されるブロックが何かあるんだろうなぁとは思っていました。

それが、今朝、はじめていままで見てきたものとは真逆の内容の夢を見ました。しかも、単位が足りなくなりそうというエピソードが挿入されていない!

目覚めて驚愕しましたねぇ。
毎度おなじみの夢を見るたび、もう笑うしかないってかんじでしたが・・・。

ついに、こんな日がこようとは(涙)。

祝☆卒業!!!なのか、はたまた、潜在意識の気まぐれか???

そんな今日は、レイキ講座のお仕事でした。
その方のレイキの習熟度、感受性を観察しながら、その人に最適な講座内容となるように、最善を尽くそうとしている自分を観て、あらためて、自分のこの仕事に対するスタイルというものが理解されました。

そして、それは、そのままわたしらしさなのだ、ということが腑に落ちました。と、同時に、わたしの中にあったひとつの思い込み(ブロック)に気が付きました^^。

今日の講座の中では、お客様に対する反応に、それまでの自分との違いを感じました。

より愛おしく。今まで以上に、リスペクトの気持ちがわいてくるのを感じました。

そして、想ったのです。ああ、心がやわらかくなったんだなぁって。余計なものが剥がれ落ちたんだって。

だから、20年以上見続けていた夢のパターンが、今朝、変わったのですね(笑)。

これから、また、新しい世界がはじまりそうです!!!


   10月 31

大切なもの

アートレッスンを受けた直後から、数日の間に、意識の大きなシフトを感じています。

そして、今日、ふと生れ出たことば・・・

「大切なもの」

それは
心の奥深くにあり
何にも侵されないもの

語れば
地に落ち
色あせ
干からびてしまうものかもしれない

それは
言わずとも
語らずとも
自然に
こぼれゆくもの

だから、それは、わたしだけが知っていればいい。世に役にたつ真実なら、それは自然に形となり、広がっていくことだろう。

そんな風に思ったら、ふいに力が抜けました。

元来、凝り性の集中気質。

ふわりと力が抜けている方が、うまくいくのです(笑)。


   10月 31

「色めがね」をはずしたら・・・

この数年、世界を受容したいと、わたし自身を開く、ということに意識を置いていました。

ところが、無限にあると思われていたその扉を、開いて開いて、開ききった先には、生まれたまんまのわたしがいました。

そして、それは、日本神話が言うところの、神であると思いました。

そんな気づきを得た直後に、こんなことがありました。

カーラジオから流れてくる、とあるMCに、
なんて、キラキラとした輝きをもった響きなのだろう・・・。
いったい誰の声かな・・・。

などと、おもいをめぐらすわたし。

ところが、それは、わたしの苦手なあの歌手の声だったのです。

それまでは、彼女の声のMCがカーラジオから聞こえてくると、きゅうくつな気分になるのが嫌でした。その感覚を言葉にするならば、「きちんとしなくちゃ」とか「がんばらなくちゃ」というようなことでしょうか。

ところが、その時は、そういう感覚が再現されることなく、わたしは、その声を聴いても、すぐにいつものそれと気が付かなかったのです。

とにかく、最初に感受したのは、その声のもつ可能性と輝きでした。

人は、世界を自分が信じている通りに見ています。
つまり、人それぞれの「色めがね」を通じて世界を見ているのです。

でも、その「色めがね」は外れた時にしかわからない。
つけている時には、それが「色めがね」だとは気が付かないものなのです。

「色めがね」をはずすことができた時、この世界の、ありのままの輝きを見ることができます。

この体験も、わたしがかけていた、ひとつの「色めがね」が外れた瞬間でした。


   10月 06

しあわせを願う夜

ちょうど、三週間前の今日。入院して、その翌日、子宮卵巣を全摘した叔母の経過は良好である。

手術の翌日から、予定のない日は、病院に通ってレイキをさせてもらっている。

術後、数日から、右足にむくみが出てきた。ソケイ部分のリンパも摘出しているので、その影響であろう。左右の足が別人のように違う。右足は甲にいたるまでパンパンであった。

看護婦さんにリンパマッサージをしてもらったり、自分でも覚えてしているようではあるが、ここ数日は、腫れがかなり引いてきている。

痛みどめの服用も一日2錠とかなり減ってきた。レイキをしていると、腹部の痛みが浮いてくることがあるが、頻度も減り、痛みの程度もかなり軽減されてきているようだ。

術後は、左足が思うように動かせなかったり、ベッドに座るだけで、腹部が痛んだりして大変であったが、今では、点滴や排尿用の管など、管という管はすっかり外され、自由の身だ。

ゆっくりではあるが歩けるようになっている。

すべての管がはずれ、ベッドの上で比較的自由な体勢でレイキができるようになってからは、頭部からの手当もしている。

これまでは、後頭部や耳へのレイキをしていると必ず咳き込んでレイキを中断するということが続いていたのが、今日は、それがなかった。気のレベルが一段アップしたようだった。

鳩尾(膵臓のあたりだろうか?)を中心として、まぁ、ヒビキがよくでること。時には、たわいもない会話をかわしながら、叔母の体に手を置いていく。

患部は摘出されても、エネルギー場がそれでクリアになるわけじゃない。患部を中心としてまだまだ手当は必要だし、肝臓や腎臓など臓器への手当ても必要だ。

カーテンでしきられた、大部屋の片隅ではあるが、こうしてレイキをしながら、叔母の傍らに寄り添えることの幸運を想った。

叔母は、よくいう。「ホント、体ってこわいねー。」と。
わたしは決まっていう。「大丈夫だよ。体ってすごいんだよ。安心してゆだねていたらいいんだよ。信頼してのびのびさせてやれば、子供だってよい成績を出すでしょう?おんなじだよ。」

幸い、叔母は、わたしのこんな調子を楽しく思ってくれているようだけれど・・・。

そうそう。
わたし、知らなかったのだけれど。
叔母さんって、やさしくてかわいらしくて少女みたいな人だったんだね。

こうして、じっくりとコミュニケーションしてみると、叔母の本質がよくわかる。

必死になって歯をくいしばって・・・、ずいぶんと苦労をしてきたね。
まだまだ、世の中すてたもんじゃないよ。
自分の人生だもの。
自分の好きに生きたらいいんだよ。

「人はね、見る物を信じるんじゃなくて、信じるものを見るんだよ。」
そんな、わたしの話に、素直に耳をかたむけてくれる叔母のしあわせを、心から願う。

台風一過の今宵。空に輝くレモン型のお月様に・・・。