ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   9月 26

喜びとともに~母の目覚め~

それは、9月16日のことだった。

電話の向こう。
嬉々とした母の声。

「ものすごいこと体験しちゃった。なぜだかわけもなく喜びが満ち溢れてくるのよ!」

そして、興奮気味にその経緯をわたしに話してくれた。

うれしかった!!!

母に訪れた、この、最初の目覚めを心から祝福した。

「よかったね。おめでとう!!!自分への最高の誕生日プレゼントだね。」

そう、この二日後には、母はちょうど70の誕生日を迎えるのだった。

今、母が上京している。叔母(つまり、母の妹)の入院にともなってのことだった。

術後から数日。可能な限りわたしが出向いてレイキをしにいっていたが、しばらく母にバトンタッチ。

昨年の11月から父へのレイキで鍛えた母の手が、今度は、自身の妹のために役にたつ。

なんと心憎い宇宙の演出、そして、はからいであろうか!

たしかに母は変わった。

表情が一段と柔らかくなり、まなざしが一段、まろやかになった。声にはりがあり、声量もある。

そして、訳もなく湧き上がる「喜び」についてとうとうと語る。

そうだ、目覚めた直後というものは、そんなものだ。そして、その喜びを分かち合いたくて仕方がないのだ!!!

わたしも、そうだったように、母にもそういう時が訪れたのだ!!!

窓辺のダイニングテーブルで、お気に入りの簡単ランチをふるまった後、わたしが洗い物をしていると、歯を磨き終えた母が、ふいに言った。

「これも、あなたが、通ってきてくれたからだよ。だから、わたしも変われたんだよ。」

(実は、昨年秋から、父の病気をきっかけにして、月に1回程度、帰省して数日間、父と母にレイキをしていくということを継続していて、すでに、父の経過は良好だったのだが、母の精神的なフォローが必要だということも感じていたので、いまだにそれを続けていた。)

「うん、それがレイキというものだよ。」

というわたしの一言で、「そうか、エネルギーってそういうことか・・・」と、また何か、母の腑に落ちたようだった。

そう、だからわたしはレイキを伝えている!!!


   9月 09

願いとは叶うものだ!

願いというものは、叶うものである。

我が家のすぐそばにある三叉路を中心として、そこかしこに、時々放置されている、犬の糞。

道路の真ん中を通る側溝のグレーチングの上や、我が家を含めた民家の玄関周り、などなど。

わたしが、掃き掃除の折に見つけた時には、塵と一緒に回収しておくのだが、発見前に無残に車に引かれてぺちゃんこ、ということも多い(笑)。

しかし。
こう堂々と何度も犬の糞を、こんなに目につくところに放置していく飼い主とは、いったいどんな人なのだろう???

ここまで来ると純粋に興味が湧く。

ここは、山の上の住宅地。近所にはお寺や神社、森林公園もあるから、散歩道にする人が多い。

そこで、犬の散歩をしている人には、自然、その飼い主さんに目がいくわけだが、たいていゴミ袋や小さなカバンを手にしている。

はてさて、いったいだれが、どんな時間に、糞を置いていくのだろうか?
日々、疑問は募る訳だが、朝に夕に犬をつれて道行く人を見張っているわけにもいかない。

しかし、先日、とうとう、その姿を目撃してしまった。

わたしたち夫婦が、外食をしようと夜、表に出た時だった。
19:00ころだったろうか。

まさに出会いがしらだった。

わたしが、玄関を出てふと視界に入ったものは、冒頭に述べたグレーチングの上(つまり道路のど真ん中!)で小さな洋犬を従えてとどまっている人だった。

もう、ぴぴん、と来た。

裸眼のわたしには、ぼんやりであるが、Tシャツ、短パンの、まだ若い男性で、犬をつなぐリードの反対の手には何ももっていなかった。

人気を感じたせいか、彼は、ポケットの中からティッシュを取り出し、犬のそれを回収して、またポケットに入れた。

ほんとうに。

願いとは叶うものだ。

わたしは、心の中で、彼に願う。
「もう、こういうことはしないでね。」

そして思うのだ。

犬を散歩させてあげるという思いやりのある人なのだから、それをもう少し広げて、放置された犬の糞を観る街の人の気持を思いやってくれたらうれしいなぁと。

だって、それを踏んでしまうかもしれない人だっているのだろうから。

しかし。
願いとは叶うものだ。

この時、わたしたちが表に出た瞬間というのは、近所のレストランに行くのに、車で行くのか、歩いていくのか、わたしが少しまよったおかげさまだったのである、(笑)。

何が幸いするかわからないこの宇宙。
瞬間瞬間のつながりがおもいがけない解を導き出す。


   9月 03

耳がいいね!

引き続き、とある存在との語らいです。

「きみは耳がいいね。」

「両耳からエネルギーを流すと、体全体が調整されるね。頭頂も流れやすいね。」

実は、わたしは、いはゆる音痴で音階を聞き取ることが苦手。
おっさんミュージシャンの主人には、

「〇〇くんは(プライベートのわたしの愛称です^^)、半音ずれるんだよ・・・」

といわれる始末^^;。

なので、「耳が良い!」なんて思ったことがなかった。

しかし思い当たる節がひとつだけ。

わたしは、エネルギーを感受する時、「耳で聴く」という感覚があるのだ。

そして、とりわけポジティブな感覚をキャッチする時、「しあわせの音がする」とか「よろこびの音がする」など、「音」という表現を多用する。

そういう意味では、「耳」の感度が、ある意味磨かれてきたのかもしれない。

そういえば、レイキで施術させていただく時。

両耳と頭頂部分というのは、よく使うポジションで、たいてい、両耳から手を当てさせていただく事が多い。

そうすると、体全体のエネルギーバランスが把握しやすいのだ。

頭頂部分は、胸部や腹部に手を当てる時、もう一方の手で補助的にエネルギーを流すのに使うことが多い。そうすると、フォーカスしている部分が活性化しやすくて気に入っている。

これは、自分自身がその部分でのエネルギーを感受しやすいから、ひょっとして、人に対しても自然に使っていたのかもしれない・・・。

いろんな意味でわたしたちは互いに鏡だからね^^。

しかし・・・。

「耳が良いかぁ・・・」

エネルギーの感度が良いということは、実は、音階を聞き取ることもその気になればもっと上手にできることなのかもしれないね。

う~ん。
しかし、今更、歌を歌うことには興味はないなー。
せいぜい、ライアーの上達に、この耳を生かしたいものです(笑)。


   9月 02

リンはありますか?~ある存在との邂逅と受容の感覚~

furin先日。

とある存在との邂逅にて。

「ここに、ひとつリンがあるといいですね。」

「ここにリンはありますか?」

そう、問われて、その時は、ないと答えてしまったのだが・・・。

思いだした。

去年の夏に出会った、ガラスの江戸風鈴。

音色とその佇まいがすっかり気に入って・・・。

その音色の心地よさに幾度となく酔いしれた。

今も、その、気まぐれな風の即興が、わたしのこの筆が進むのを微笑んで見守っている。

今日は、生理の二日目で、下腹部が重い。軽い経の引きつれを感じ、ソファに腰かけて、両手で下腹部に手を当てていた。

いつしか、わたしは、風の即興に心を持っていかれ、ふと、気が付くと、まるで、この両掌が下腹部の違和感を吸い取るかのような感覚の中にいた。

と、当時に、下腹部の違和感は緩和され、わたしは手当をやめた。

そして、思い出した。

以前にもこんなことがあったなと。

それは、ある日の深夜。ふと、目覚めると、もうすっかり治癒していたと思っていた患部の痒みをともなう不快感に気が付いた。

すっかり忘れていたけれど・・・。心身が新しいバランスに移行する時。昔の症状が再現されることがある。

わたしは、夢見心地のまま患部に手を当てた。

すると、痒みをともなうその不快感が、どんどん軽減されていく。まるでこの手のひらが、その不快感を吸い取っているかのようだった。

その時の、この手の、ふくよかな感覚。

そうか、これが、受容ということなのだな、と感銘しつつ、そのままわたしは眠りに落ちた・・・。

「リンはありますか?」

この会話には続きがあって。

「どんなリンがいいのですか?」と尋ねると、「あなたには、チベットや仏教系のリンはあわない。そうですね、ガラスかなにか・・・。あなたが、良いと思う音。心地よいと感じるものが良いですね。」

その時には、ガラス?と言われてもピンとこなくて、クリスタルボウルのこと(小さくてリンとして使えるようなものがあるのです。)かとも、尋ねたけれど、そうではないようだった。

そうだ。
こんなに美しい音色を奏でるガラスのリンがあったんじゃない、笑、笑、笑!!!


   8月 20

片足のないバッタ

batta

またしても昆虫ネタです。

今回は、片足のないバッタ。

つい先日。洗濯物を干すのに、ベランダを行き来していると、一匹のバッタが網戸にとまっているのを見つけました。

よくみると、ちょうど右側の後ろ足がありません。反対側には、ちょうど対になるその位置に、きっと、これで大きなジャンプをするんだろうな、 と想像をさせるような大きくて立派な後ろ足がありました。

これでは、ジャンプするのにさぞかし不便だろうな・・・。

そんな想いがわき、網戸の裏側から少々手をかざしてみました。

足がないからかなぁ。

こんなに小さな存在なのに、じんじんというヒビキを感じました。

昆虫など小さな存在は、人へのレイキと比べてうんと繊細でわかりにくいのですが、日常生活の中で、 自分や他者へレイキをしていくと、いろんな対象のヒビキもわかるようになります。

 

レイキネタをこうしてブログに投稿するのも、わたしの大事なレイキの普及活動(笑)。

「写真の中に、我が家のあられもない洗濯物が写りこんでいるのが美しくないわーーー。」

洗濯物を少し移動してもう一度写真を取り直そうと、網戸を開けたとたん、バッタは、ぴょーん、とどこかに飛んで行ってしまいました。

うーん。やっぱり、見栄はよくありませんね、笑、笑、笑!!!

 

その後、ベランダの片隅で壁にとまっているバッタを見つけました。

あのジャンプ力で、それからどこに飛んで行ったのでしょうね~。

幸運を祈ります^^☆