セミは、実を言うとあまり好みではない。
セミの鳴き声は夏の風情があるし、命あるものの愛しさを感じることは、感じる。
のであるが、いかんせん目の前にその姿が顕わになると、その大きさ、容貌から来る苦手意識がわたしの中で息づくのを否定できない。
セミよ、ごめん!!!
今朝ほど、掃き清めようと表に出たところ、ちょうど我が家の玄関へと至るコンクリートの階段の上に、セミが一匹、じっとしているのを見つけた。
それは、息そひそめて、大樹の幹にとどまっているようでもあった。
わたしが、彼(彼女?)のそばを何度となく行き過ぎても動く気配はなく、わたしが、表を掃き清め、水遣りを終え、玄関のたたきとポーチの拭き掃除を終えても、まだそこにいらっしゃる。
セミというもの。仰向けにひっくりかえってしまっていても、もう死んでしまったのかな、、、と手だしをしようものなら、バタバタバタと羽音をたてて目の前を飛んでいったりするものだから、何度となく驚かされている、というのはきっと多くの人が体験していることだろう。
このセミは、しっかりと自分の足でコンクリートに立っているのだから、きっとまだ息はあるのだろう。
このままずっとここにいて、お客様がいらっしゃると、お互い(セミもお客様も!)びっくりするだろうし・・・。
疲れてここで一休みしているようなら、ひとつレイキでも・・・と、彼に向かって左の手のひらを向けてみた。
すると、ジンジンというヒビキとともに、命が息づいているのが伝わってくる。
うーん、やっぱり生きているんだねぇ。
そんなことを感じながら、レイキを送ることしばし。
ほんの少々の時間だったけれども、送ることに興味がなくなった時点で潔くレイキを終えた。
そして、わたしは、いつもなら、主人のために、ポストから新聞を取り出して行くのだが、なんとなく、今日は、新聞はそのままに、セミを残して部屋に戻った。
引き続き、部屋で家事をしていると、ベッドから起きだした主人が新聞を取りに扉を開けた。
セミが、ジジジジと声を上げながら飛び立っていくのが聞こえた。
めでたし、めでたし^^。