ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   5月 28

光明を得る

koumyou太極拳のレッスン。

套路の最中のひらめき。

 

「あなたはそのままで美しい。」

 

わたしの内に、そのことばがふいに現れた。

わたしは、直感的に、瞬時に意味を悟った。

それは、すでに体感している「ありのまま」とは明らかに別次元の情報が、わたしに刻印されたのだった。

そして、その意味をさとった瞬間、霧が晴れて光がさしこんだのを観た。

まさに光明であった。

いま、まさに転機を迎えているわたしの、次なる道しるべとしての光の現れだった。

 

その後のレッスンでは、先生の動きが一段、よく見えるようになっていた。

 

レッスンの帰り道、軽やかな気分でふと上げた視線の先に1111。

ふと、友人のことを思いだし、何気なく携帯をみたら、11:11、その友人からのメールが入っていた。

友人とその午後を一緒に過ごし、わたしはこの時得た光明の意味をさらに明確にすることができた。

なにもかも打ち明けることができる友との語らいは、自分を知る時間でもある。

 

帰り道。

ふと、空を見上げると天使の羽を思わせる雲の姿が。

ありがとう。

わたしは、また少し、この宇宙のしくみを理解したよ。

多くの人が、この宇宙のしくみを理解し、この世界を生きることをenjoyできるよう、わたしを役立てていきたいと思います。

合掌。


   5月 20

レイキ遊び~蝶とのたわむれ~

公園でのワークを終え、帰路についた時、ひとひらの小さな蝶がわたしの足元に飛んできました。

そこは、とある森の湿地帯。そこにかけられた橋の上をわたしは歩いていたのでした。

蝶などは、レイキをしようなんて思って手をかざそうものなら、元気の良い蝶なら飛んで行ってしまいます。

(まだ、わたしの場合、さすがにそこまで蝶に愛されてはいないとおもいますので・笑)

そこで、すかさず、目線で蝶にレイキを送ってみました。

すると、急によたよたと橋の上の縁にそって歩きだしました。

と、同時に、わたしの目は、何かしょぼしょぼするような感じを覚えていました。

しばらくすると、エネルギーの質が滑らかになり、目のしょぼしょぼ感もなくなりました。

この時には、わたしの足元でじっとしていたので、わたしもしゃがみこんで引き続き目線でレイキを・・・。

もういいかなと思って、わたしが立ち上がり歩き出すと、蝶も元気に羽ばたいていきました。

こちらでつづった蝶とは反応が違いますが、それも個体差なのでしょうね。

今回は、小さな生命との対話を通じて、野生の厳しさを教えてもらったように思います。

 

ところで、目線でレイキを送っても、ヒビキを感じることはできます。

手を当てるよりはうんと繊細になりますけれど。

ヒビキというよりは、レイキを送ることによる「エネルギーの反射」という感じの方がぴったりくるかもしれません。

これは、わたしなんかは、煮込み料理なんかしている時にも、灰汁をとろうとして、ふと気が付くと、目からのレイキの放射とその反射(ヒビキ)を感じていたりもします。

お料理なさる機会のある方は、ぜひ、観察されてみてくださいね。

レイキをしている時のような感じで、リラックスしてお料理すると、やさしい味わいのおいしい料理ができますよ!

 

目は口ほどにものを言うとはいいますが、眼差しとは大切なもの。

普段から、レイキをしている時のような穏やかな目線を放ちたいものですね。

そして、対象を「ありのままに見る」、という心の姿勢を磨いていきたいものです。


   5月 13

狸に導かれて・・・

連休の帰省時、愛知県から大阪に移動する時、高速で土山というパーキングに止まることがあります。

今年は、こんな風に、このパーキングで見つけた小山でご機嫌なわたくしなのでしたが(笑)。

この時、気になることがありました。

なぜか、主人がパーキングの店先においてあった大きな信楽焼きの狸(よく見かけるお酒の瓶をもったタイプで、わたしの腰くらいの高さはありましたね。)を、片手で撫でているのです。

「なんで、狸なんて撫でてるの?」

とわたしは、声を出していったかどうか記憶にありませんが、心の中では確かに呟いた事を覚えています。

そして、その2時間ほど後、到着した主人の実家では、義母が、友人からだといって見せてくれた絵手紙に・・・。

あの、信楽焼きの狸が!二匹だったかな。かわいらしく描かれていました。

その翌日。

わたしは、一人で散歩に出かけました。
とあるお宅の庭先で気になるお花があったので近寄ると、そこにも!
信楽焼の狸がご登場。30センチくらいの高さだったでしょうか。

ここまで続くと、さすがに気が付きますね。
な~んで狸なんだろう???

でも、主人の実家に滞在中、そんなことは忘れてしまったのでした。

そして、出発する朝。

「高速は混んでいるから下道で信楽を抜けていこう」と主人の提案。

その昔、ティーンエイジャーのころは歴史が好きでしたので、信楽といえば、信楽宮!を連想して少々わくわく。

観光客でひしめく宇治の平等院の傍らを過ぎ、宇治の茶畑を通り抜け、緑豊かな山間を抜けていくと、現れたのが・・・。

あの、狸でありました。小さいもの、大きいもの。これホントの焼き物!?と思うくらい巨大なものまで、た~くさん!!!

そこは、信楽焼で有名な里。狸の焼き物は、今や、信楽焼のシンボル的存在なのだそう。

お土産物屋さんや、陶器屋さん、体験陶芸ができるような工房などもあって、道すがら、狸でいっぱいなのでした。

こちらのウィキにあるように!!!

そして、この時、わたしはちょうどぞろ目のグランドスラムを達成しつつあるのでした(笑)。

まぁ、振り替えてみれば、主人が行きのパーキングで狸の置物に手を置いていた時から、この旅は暗示されていたのかもしれません。

撫でてくれたお礼に、道案内を買って出てくれたのでしょうか(笑)。

しかに、なぜに、狸なのでしょう~???

ウィキによると、こうした狸たち。「他を抜く」、として、店先では、商売繁盛の縁起物として重宝されているのですって。

う~む、あやかりたいものです(笑)。

ちょっと、珍しい狸のシンクロ二シティ。
記憶のメモとしてつづっておきます。

 

 


   5月 12

ゾロ目のグランドスラム!?

ぞろ目の「1111」生まれなだけあって、ぞろ目は、気が付いたら大好き。

だから、ぞろ目を見ると気分が上がります。

まぁ、ドリーンさんの本を読んだ時に、444は、たくさんの天使があなたを見守っていますよ、とか、777はあなたはとてもラッキーです。333はアセンデッドマスターたちが見守っています。555は、大きなことがおこります、シートベルトをしめましょう(心の準備ということですね)、999はあなたはライトワーカーです・・・。

あとはね、111が、思考に気をつけましょう、222が奇跡が起こる5分前です、あきらめずにがんばりましょう、などなど。

意味を覚えてしまって、なおかつ今やわたし流にアレンジされてしまっています。

666は、愛の学び、とか、888はハッピーハッピーおめでとう!という感じ。(この二つは、もはや元の意味を覚えていません!)

これで、全部出たかな(笑)。

わたしは、数字でメッセージを受け取る、と決めているので、ポジティブなアイディアが浮かんだ瞬間に、たとえば「4444」の車が目の前を通ったり、ということはよくあります。 少し前までは、こういうシンクロニシティが活性化するのは、調子が良い時という認識でしたが、今では、それが日常になりました。

自分自身に「罪悪感」というものがなければ、どんな時でもメッセージは受け取れるのですよね。そもそも、調子が良い、悪いという判断もそこにはありませんから。

ただ、わたしという存在があるのみ!

 

と、前置きはこのくらいにして、この連休中のとある一日に、ぞろ目のグランドスラムを達成した時のエピソードをご紹介いたしましょう。

主人の実家がある大阪から、わたしの実家のある愛知県での移動時。高速道路は大渋滞。せっかく時間をかけるなら、緑ゆたかな信楽方面を下道で抜けていこうという話になり、宇治の平等院の近くを通り、宇治の茶畑では抹茶ソフトで一服し・・・。

信楽焼きの巨大な狸を道すがらたくさん見て大笑い。

その間、運転は主人にお任せし、わたしはたいてい助手席でぼうっとしているのですが、時折、ふっと焦点のあった先が対向車や前の車のぞろ目ナンバーというくりかえし。

その日は、ドライブ開始時からいろんなぞろ目を見始め、しかも一部は何度も重複するほどでした。

そこで、見たぞろ目を思いだして主人と一緒に確認していくと・・・。

「あと、見てないのは6のゾロ目だけだね~。」とわたし。

そして、そう言った瞬間、気が付きました。

もう、わたしが、あとは6だけだと気づいてしまったのだから、次は6が来るだろう、と。

「次は6だよ!」

と、その瞬間。

じゃじゃ~ん(笑)。

わたしの予測通りに、6666の対向車が。

つづいて8888。

ちなみに、その後、高速にはいってパーキングに止める際にも、666と888の車にお出迎いただきました。 今、思えば、「6→8」のセットが2度も続いたのもなるほどです。

わたしの実家についた途端、まさしく「6」の学びがわたしを待ち構えておりました(笑)。それは、母、妹、私に絡む意識の大いなる目覚めの一環で、一瞬、動揺もありましたが、いまやすっかり落ち着き「888」(大団円)の様相を呈しています。

そして、わたしは、いまだかつてないほど、空っぽで透明な自分を感じています。

もう少し、深読みすれば、あのドライブで、いろんな数字をぜ~んぶ見せられたのも、ひとつの時代が終わり、その間、あなたはいろんな体験をし、学んだねということを宇宙が表現していたのかもしれません・・・。

と、話がそれました。

 

わたしが言いたいのは、こちら。

願望実現というのは、本来は、実際このくらい軽いタッチなのだ、ということ。

まだ6を見てないね。とわたしが認識し、次に6だと思ったから、実際そうなった。

意図する、というのは、実に軽やかで自然なこと。そこにはなんのストレスもなく・・・。改めて、意図するということの本質を体感したように思います。

なんといったらいいのか、あの時の、純粋な感覚。疑いも、恐れも知らない、子ども心といったら良いでしょうか。

なにぶん、まだまだこの感覚、わたくしも練習中につき、ここにバシャールの明言を付記しておきます。きっと、わたしは、あの時、バシャールの言う「最高に軽いタッチ」というものを体験したのではないかと思っているのです。

(バシャールペーパーバック⑦)

本当のパワーには敏感さと繊細なタッチが必要です。

いわゆる神、あるいは無限の創造主と呼ばれるもっとも偉大なパワーは、最高に軽いタッチをもっています。

おそらく、わたしが、レイキに出会って、これだ!と思って始めた~風の城~も、わたしにとっては、「最高に軽いタッチ」といえるほど、自分にとって自然なことでした。そして、それが、あまりに自然なため、その「パワー」にすら気づかなかったという・・・。

う~ん、だから、考えすぎるとおかしくなってしまうのですね(笑)。

はい、考えるのではなく、感じよう!!!ですね。

 


   5月 08

蝶の贈り物

みまさま連休もおわりましたね。

どんなお休みを過ごされていらっしゃいましたか?

わたしたち夫婦は、例によって双方の実家に車で旅立っておりました。

そんな中、夫婦で散歩に出かけたとある朝。

新緑の中、この季節にしては寒い朝の空気を感じつつ、とあるお寺の境内へと続く石畳の参道にさしかかった時。

その道の脇に、大きな黒いアゲハ蝶が倒れているのを見つけました。

近寄ってしゃがみこんでみてみると、息も絶え絶えといった様子。まさに瀕死の状態でした。

そこで、その蝶をつつみこむように手をかざしてみました。

すると、レイキに導かれるようにしてよろよろと立ちあがりました。羽を動かそうとするのだけれど、うまくいきません。

よく見ると、右側の羽の下半分は引きちぎれ、右足も数本ありませんでした。

鳥かなにかにやられたのでしょうか・・・。

もはや自力では生きていけないでしょう。

最期のこの瞬間、ほんの少々のレイキでも安らぎになれば・・・と思い、そのまましばらく手をかざしていました。

びりびりと強いヒビキが続き、時間を忘れてしまうほどでした。

気が付くと、蝶に夢中になってレイキをしているわたしを置き去りにして(笑)、なが~い階段をのぼって参拝してきた パートナーが戻ってきました。

「おいていくよー!」と。

蝶がいたのは石畳の上でしたので、せめて土の上においてあげたいな、とも思ったのですが、 これ以上の介入ははばかられる気がして、心残りながら、その場を去りました。

時間にして、ほんの10分ほどのできごとだったと思います。

ささやなかなコミュニケーションではありましたが、わたしにとって蝶は、宇宙とのシンクロ二シティを感じさせてくれる象徴的な存在でもあるので、とても印象深い体験となりました。

そして、その日のお昼。

わたしの中で起こった溶解は、この蝶からの贈り物だったのかもしれません。

気づきとは、体験の連続の中で生まれるもの。

どんなに小さいと思われる体験も、その気づきに至るまでに必要なことなのですよね。

蝶が教えてくれたことは、わたしにとって、大きく深いギフトとなりました。