ねぇ かおるさん 耳からつくしが生えてますよ

レイキサロン&スクール風の城☆kaoruの気まぐれ日記

   5月 02

痛みがサインなら・・・

kaoru0502みなさま、こんにちは!

この連休、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

わたしたちは、例によって、互いの両親に夫婦そろって顔を見せるという旅に出ております。

今日は、愛知県から大阪への移動日。

途中、土山というサービスエリアにある散策スポットに小山を発見!

喜び勇んでのぼってみると、青空をバックに絶好の撮影ポイント。

風も手伝って、なかなか動きのある写真が撮れました。

我が相棒、そして光と風に感謝!!!

 

さて、突然ですが「痛み」というと、みなさんは、どんな印象を持たれますか?

まぁ、「好き!」という方はいらっしゃらないでしょうが(笑)。

集中力を削ぐもの、病気ではないかと不安にさせるもの、日常のスムーズな運行を中断させるやっかいなもの、自分を苦しめるもの・・・、などなど。

大方、不快なものとしてネガティブな印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。

たしかに、「心地よい」ものではありませんね。

わたしも、昔は、痛みというと、病気じゃないか・・・と、とにかく自分を不安にさせる嫌なものという理解でした。

ところが、今では、まったく違います。

痛みというものは、わたしにとって体からの大切なサイン。

長年レイキの実践を通じて、「感じる」ということを大切にしている間に、痛みとは、気付くべき何かを教えてくれる、体との大事なコミュニケーションツールのひとつとなっていました。

 

今日は、運転中にこんなことがありました。

連日の長距離運転。しかも、前日に訳あってとばし気味に高速を運転したせいか、今日は、高速道路を運転中ものすごく首肩が凝ってきました。じき土山SAに付くというあたりで、ついに痛みも発生。

こういう時、痛い痛い・・・、と思っていると、ますます痛くなってくるし、気力も減退していくものです。

ふと、わたしにとって「痛みはサイン」であることを思い出し、こんな風に体に話しかけてみました。

「わかった。わかった。あと少しで休憩だから。もう、大丈夫だからね~。」

そうしたら、なんと、スーっと痛みが引いてしまいました。

もちろん、痛みの程度や、問題のレベルにもよると思いますが、今回の場合は、どうやら、体が納得してくれたようです(笑)。

われながら、ここまで効くとは思っていなかったので、少々驚きましたが。

でもまぁ、体とのコミュニケーションはうまくいったようです。

なかなか、面白い体験でしたよ。

 

それにしても、最近の高速道路はSAも楽しめるようになっていますね。おいしいお店も増えて、トイレも綺麗になって・・・。

ほんとうにありがたいことです。

最近では、SAでの食事も楽しみのひとつになっていますよ。

みなさまも、ひきつづき、たのしい休日をお過ごしくださいね!!!

 


   3月 27

怒りとレイキ

この日、妹の家につくと、ちょうど彼女も車で帰宅したところでした。

そして、運転席から降りるなり、憤懣やるかたない雰囲気。

どうしたのかとおもったら、「一時停止義務違反でつかまった」と。

「あ~。それは、ご愁傷様でした。完全には止まっていなかったんじゃない?」

わたくし、OL時代は、自動車保険の事故対応をしていましたので、一時停止の標識にはチョー敏感です。

発見するとちゃんと止まります。

ブレーキだけではいかんのです。

ちゃんと停止線のところでタイヤが止まるのを確認。そこから左右確認して発進。

そうすると、たとえ直前で左右どちらかからくる車に気が付いたとしても、徐行運転だと未然に停止できるんですよね。

車同士の事故って、どちらかが注意していると起こらないもの。

「そこで停止しても、左右は見えない!」というのは、一時停止義務違反で交差点に進入し、事故に至った方たちの決まり文句でした。

まだ20代。「正論」を述べることしか知らなかったわたしは、杓子定規とか、事務的だとか、まぁいろいろ言われもしました。

なつかしいですな~(笑)。

と、もとい。

まぁ、「なんでそんなところで張っているんだ!」と言いたくなる気持ちもわかります。

こんな住宅地の中の、スピードも出さない交差点で、なんでーーーっていう気持ちもね。

妹は、ちょうど、腎盂炎に違いないと思うほどの強烈な腰や腹部の痛みを伴った風邪を経過しつつある時でした。

こういう時こそ、レイキで手当てをしておくととても良いのです。

治癒力がよく働いている時ですので、エネルギーも動きやすく、新しいバランスへの心身の移行が速やかになります。

実際、妹への手当てを開始すると、まだ、腹部には硬さがありました。

うんうん。そうだろう、そうだろう。きっとよく反応も出るだろうな・・・とレイキをすることしばし・・・。

しかし、腹部は硬いまま、ちっともエネルギーが動きません。

レイキをしていても、なんだか反応がいまいちなのです。

そして、普段は、レイキを開始すると、リラックスして眠ってしまう妹が、何度もため息をつきながら、まったく眠らない。どうにも、怒りがおさまらないようでした。

きっと、沸き起こるやるかたなさ、どうしようもなさに、すっかり飲まれてしまっていたのでしょう。

 

「腹が立つ」とはよく言ったもので、怒っていると、お腹が硬くなります。

怒って気が上がったまま、おなかの筋肉もそれにあわせて硬直してしまっているのですね。だから、腹部の硬さや冷え(怒った状態のまま放置されたら冷え固まります)というのは、過去の自分の怒り、であるという可能性も往々にしてありますね。

わたしなんて、若いころは、世間というものに腹ばかり立てていたので、本当に腹部は冷え固まっていましたよ(笑)。

これは自分で手当を重ねていくことで気が付いたのですけれどね。

根気よく、レイキで溶かし続け、今はそういうものは蓄積されていないと思いますが。そして、今では、当時とは、まるで違う視点で生きていますので、もうそういうエネルギーが腹部に蓄積することはありませんね。

あらためて、人の感情というもののパワーを実感したと同時に、「今は怒っていたいのだ」という意志の力強さをまざまざと見せつけられた思いがしました。

「怒るな」というのが、臼井先生が伝えられた五戒の冒頭に来ているのも、偶然じゃないのかもしれませんね。

怒ったらレイキの流れがどうなるか・・・。

というのは、このエピソードの通りですから(笑)。

Ps.でも、だからって、怒ることが悪いのではありませんからね。念のため!


   3月 17

だれのものでもないレイキ

だれのものでもない

とてつもなく大きなエネルギー

 

先日のレイキ講座のおり、最初のアチューンメントで受け取った感覚。

 

意識の成長とはすばらしいもの。

レイキをお伝えしはじめて、はや数年。

みなさまとの時間を何度となくつみかさねても、こうして新鮮な感動とともにレイキの世界を感じられること、しあわせに思います。

 

レイキというもの。

長く実践しておりますと、その独特の感覚もわたしにはもう馴染みのものとなり、 だれよりも親しい友人のような存在にもなっていて、 普段は、その親しげな横顔にすっかり慣れ切っていたのですが・・・。

 

大いなる自然に対する、わたしのなかの、謙虚さ厳粛さというものに強烈な光があたった瞬間だったのかもしれません。

 

そして最近想うこと。

わたしの中にはぐくまれている、慈愛の心。

ハートの中から「じわり」と湧いてくる「存在」に対する愛おしさ。

 

それは過去のある時のわたしかもしれないし、いつかこれから体験する未来のわたしかもしれない。

そんな「あなた」を目の前に、湧き上がる慈愛を感じながら時を過ごすこと。

 

それは、まさしく、わがことのように目の前の「あなた」を愛する喜びの体験。

 

元来、わたしという人間は、好みがはっきりしていて、凝り性であって、ストライクゾーンが極端に小さい。

よーするに、変なヤツである(笑)。

そんな、わたしの心が、「それがあなただよね」とにっこり微笑んで、目の前の「あなた」を感じるという芸当を、最近はやってのけるのである。

いやはやびっくり!!!

そんな、慈愛の心の行く末が、我ながら楽しみである(笑)。

 

 

 

 


   3月 10

レイキという宇宙

だれが伝えても、その本質は変わらない・・・。

昨日のレベル1を終えて、改めて、レイキというものの大きさを思う朝です。

ここ最近のわたしの意識の変化、および、この数日間でどんどんと変化していく「視点」のせいなのか、とても印象深い一日となりました。

自身の内から湧いてくる「慈愛」という海のぬくもりとゆたかさ。
降り注ぐレイキのエネルギー。

まさしく、わたしにって、今このタイミングならではの出会いだったように思います。

人生の体験というものは、比べることのできないもの。
また、比べる必要もないもの。

ご自身にとって、それが、深く大きな体験であればあるほど、それにまつわる感情に寄り添う時間というものも大切になります。

レイキで自分に手を当てること。
レイキで誰かに手を当てさせてもらうこと。

それは、まさに、意識をそこに向け、感じ、寄り添ってあげるのと同じこと。

その過程の中で、いつの日か封じ込めてしまった自分の想い。その人の想い。

それは、カラダの中を行き交うエネルギーの場にも蓄積されています。

あなたのそのカラダ。
大切な人のそのカラダ。

いつしか封じ込められた想いは、ずっと気づいてくれるのを待っています。

そこに手を当てあげると、やっと気づいてくれたんだね、とカラダは喜びます。

蓄積された時間が長いほど、動き出すのには時間がかかることもあるでしょう。

それでも、日々の暮らしの中で、ご自身に、そして、大切な人に「手を当ててあげること」。

こんなシンプルで簡単なことで、あなたが体験する現実というものが変わっていきます。

それは、レイキの実践を通じて、あなたがかわるから。

レイキの実践を通じて、感じることが、あなたに気付きをもたらし、新しい視点をもたらしてくれるからです。

そうして、変化する自分自身を体験していくことが、レイキの面白さ、生きるというこの醍醐味でもあります。

宇宙そのものともいえるレイキの世界から見れば、わたしなんて、ほんのちっぽけなもの。

それでも。
レイキの実践を通じて感じられる宇宙が、わたしは好だから。
レイキをお伝えしている時の、みなさまとの時間が好きだから。

わたしはレイキを伝えていくのだと思います。

こうして、風の城へと足を運んでくださる方がいること。

心から感謝申し上げます。


   2月 22

喉に浮かんだ「自由」@風のつどい

今日の風のつどい

ペアレイキで首、肩のラインにレイキをしていただいた時、今までになくその部分が緩んでいくのを感じました。

最初にあくびが何度か出て(頸椎のあたりから出るあくびと、喉のあたりから出るあくびと、明確に2パターンありました・笑)。

首、肩が緩むと同時に、胸腺のあたりも緩み、しだいに、首から肩にかけてのライン全体に呼吸が入ってくるようになりました。

そういえば、今までは、このあたりに手を置いてもらうと、ピリピリとしたものが両手の平からも流れ出ていく、という感じがほとんどだったのが、今日は、そういう感覚には気が付きませんでした。

最終的には、喉の内部に、「自由」という文字がくっきりと浮かび上がるような晴れやかさに!

ほんの10分ほどでしたが、手を置いてもらったこの感覚が、とても印象的なひとときでした。

わたしの、首から肩かけてのライン。長年の生き方の癖、凝り性で近視眼的になりがちというパターンで人生の半分以上を生きてきたので、相当、硬いです。

それでも、最近になって、自分で触ってみると、以前にはなかった弾力を感じるようになりました。

そんなタイミングで手をあててもらって、あらためて、人の手の温もり、人に触れてもらうということのありがたさを実感しました。

やっぱり、人の手はいいです。やさしく触れてもらった時の、安心感とか、ふっと緩む感覚というのは、「手当」ならではです。

自分で自分に遠隔もできますし、意識を使ってエネルギーを取り込むということにもこなれては来ますが、やはり、「触れる」ということを通じて体感される癒しというものが、わたしはとても好きですね。

 

集いを終えて、みなさまをお送りしたあと。

街に出て歩いていると、体のバランスが変わっているのを感じました。

重心の位置がわずかに前になっていることと、今まで感じたことのない上半身の脱力感。

まさに、肩の荷が下りた、という表現がぴったりでした。
でも、少し前の癖は再現されやすいもの。

食事をとっている時、ふと気づくと、力がはいっているのがわかるんですね。

あ、これは、前のバランスだ。

そう気が付いて、新しいバランスを想いだして、ふっと、力を抜く。

そして、今も。

キーを打ちながら、つい力が入る首肩まわり。

あ、と気が付いて、新しいバランスを想いだす。

そしてすぐにそうしてみる。

そんな過程も、変化の時だからこそのお楽しみ。

明日起きて、体を動かすのが今から待ち遠しいです。

 

ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

みなさまとのひとときが、わたしを、必ず、あたらしいわたしに出会わせてくれます。

みなさまにとっては、どんなひと時だったのでしょうか・・・。

きっと、おひとりおひとりに、その方だけの特別なギフトが届けられましたことを願っております。

また、ぜひともレイキをご一緒いたしましょうね!